見学者-003- 『雲の溜まる休日2006』
2006年1月6日(金)〜9日(月)
中野・劇場MOMO
作:黒沼佰見
演出:倉光仁美
照明:木藤 歩(Balance,Inc.)
音楽・音響:渡辺 禎史
舞台美術:袴田 長武(ハカマ団)
舞台監督:杣谷 昌洋
出演:
うね雲 ‐ 岩井 さやか
きり雲 ‐ 杉田 健治
おぼろ雲 ‐ 篠原 志奈(形態ゼロ)
まだら雲 ‐ 三波 誠
ある妻 ‐ 藤田 早織
ある夫 ‐ 黒沼 佰見
ネジ回し ‐ 神野 剛志(神様プロデュース)
削り回し ‐ 辻 朋浩(ダブルスチール)
<あらすじ>
■そこはまだ改築途中の家。かつてはあばら屋同然だったその家が改築されていた。4人の若者たちがそこに集まってきたが、ある者は不穏なことを口にし、ある者は猫の話をし、 また、ある者は遠い過去の話を始める。 彼/彼女の話す過去は、現在であるかもしれないし、あるいは他の誰かの記憶かもしれない。昼間はその家の改築を依頼した夫婦が家の様子を見に来る。工事を請け負っている建築業者の男達は町の風力発電所を建てた業者として有名だが、なぜか今回の工事は一向に進まない。若者たちはある計画のためにそこに立てこもることになるが、それすら遠い過去の話になった今、残されたのは男女二人だけ。そこに現われたのは工事を依頼した夫婦。彼らは家族とも言えないような距離感で話をし、休日の一時を共有する。次第に記憶を失っていく二人の男女。過去にあった事件のことを振り返るも、思い起こすのはぼんやりとした面影ばかり。居なくなった猫たち、転倒したバス、あの立てこもり事件、森の先のコンビニ、鼻をつく臭い。換気扇に吸い込まれるように次々と記憶を失っていく。主体/客体、現在/過去は曖昧になり、その家にたたずむ存在はなおも語りつづける。
▲今回初めて導入した多重モノローグのあるシーン4「逃亡、あるいは立て籠もり」より。雲の四人。
▲左は改築途中の家に侵入したおぼろ雲(篠原 志奈)/▲右・同じく侵入しているまだら雲(三波誠)
▲左・仕事に精を出す大工。左から削り回し・ネジ回し(辻 朋浩・神野剛士)/右・▲わからなくなった人たち4人。
▲左は仲直り後のある夫婦(左から藤田 早織・黒沼佰見)/▲シーン6「息をする家族」より。
▲左・シーン7「記憶の中の人びと」より/右・記憶を失っていく二人。
▲シーン8「人生の休日」より
我々としては中国帰国後の初の本公演。しかも、初の再演だった。台本も大幅に直し「存在」を中心のテーマに据え、さらにいわゆるテロや戦争などの「ドラマ」部分、「不条理劇」部などいくつかの構成に分け、さらに初演時の仕掛けを残しつつ、役者はまた一から募集しての再スタートとなった。今回の舞台ほど勉強になったことはなかった。
賛否両論はいつものことだが、それでもこの再演をやってよかったと改めて思う。カフカの寓話『だだっ子』/高行健の戯曲『逃亡』から一部引用・再構成させていただいた。