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相対主義のこと、ポップのこと

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●80年代にシラケの土台ともなったのが「相対主義」だと思う。この相対主義を手に入れた若者たちは、「いいものもある、悪いものもある」に代表されるような、結局何も言っていない状態で、煙に巻くような、皮肉るような態度で、前進しようとする力を無化する。
 それはおそらくただ闇雲に前に進もうとした者たちへのアンチテーゼだったのかもしれない。
 あるいは、「信」に対する「不信」だったと言ってもいいかもしれない。
●そもそもわたし自身のこのブログの書き方はやや重く、どちらかというと絶対的な何かを「信じている」書き方ではある。権威的と言ってもいい文体。
●逆に相対主義にはPOPがよく似合う。つまりは大衆性。「カワイイ」。とても身近なものだ。わたしがあのポップな「まるもじ」を覚えたのも小学校2年か3年生のころだった。ちょうど80年代半ばだった。その後よく目にしたのは昭和軽薄文体。原田宗典氏のエッセイは好きだった。

●いや、ポップな装いはだからこそ政治的で有り得る。政治的であることの良し悪しはわからないが、実効的であるかどうかで言えば大いに意味がある。社会に直接的に働きかけることができるからだ。たとえば、詩だけでは届かないエリアにゲームを混ぜれば届くことができる。広告と組み合わせれば届く範囲も広がる。
 何か人びとが誤った方向にまとまって進んだときに、それを助長することができるのも、逆に引き留めることができるのもまたポップなものかもしれない。
 
●あるいは、その流れで話を進めるならば、相対主義は、何か圧倒的に間違った方向に進んでしまおうとする力をも無化するという意味で、やはり政治的なのだ。

●10年代の今はあきらかに前進に向かっている。多幸感を伴って。2020年のオリンピックはちょうど一つの旗印になるだろう。そうやって何かを必死に忘れるように前に進んだ先に何があるのかはっきりわからないまま、「行ってみなきゃわからないじゃないか」とばかりに前に急ぐ。わたしのなかにも明らかにその流れは感じる。それがとてつもなく危険なことのようにも感じる。

 そこで必要なのは、感情や気分で動くのではなく、ロジック、意見で行動ができるレベルまで、一人一人が本当に「考える市民」になることだ。しかし、到達できるか。とてつもなく難しいけれど、少なくとも人数を増やすことは可能だろう。
 そのときにはやはり文学や演劇や科学や建築や美術や化学などなど、それぞれの専門のカテゴリーを超えることができるかどうかそこを開く言葉を考える必要があるのだと考えている。演劇的に、戯曲的にそれは可能なのか考えるし、そうやって遠回りなかたちでしか大事なことは届けられないのではないかと思っている。

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80年代とポストモダンの気分から

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●昨晩録画しておいたNHK Eテレの『80年代の逆襲 宮沢章夫の戦後ニッポンカルチャー論』を朝から見る。
●「テクノという考え方」「80年代的な笑い」「おたく」この三つの鍵から80年代を読み解いていく。「80年代はスカだったか?」というところからはじまる。
 「軽薄さこそがトーキョー」であり、それが「カワイイ」につながる。少しでも他人と何かが違うという「差異化のゲーム」。笑いもまた脳で考えた「情報」。そして「非身体性」。SEIBUを中心とした商戦もものに「情報」を付けて売り、それが90年代には「ただの皿だ」と気付いて割ったという話には納得した。
 00年代を越え、10年代に残るもの、さらにその先に残るものは何なのか。考えさせられる。

●正直に書けば、わたしは「経済優先のバブルをそのまま良しとしていた軽薄さ」を中心に、あらゆる80年代的なものに嫌悪感を抱いていた。76年生まれの嫉妬かもしれない。ただわたしにハッキリ言えるのは、生きた時代的にも、住んでいた場所的にも「遠い場所での遠い祭り」でしかなかったのだ。少し生まれる時代や場所を間違えれば、そうは見えなかったかもしれない。
 嫌悪していたそれらの文化に寛容になれたのはわたしが00年代に入ってからだ。これはおそらくわたしの自意識と強く関係している。これらの動きが結果的に、日本における一部の「ポストモダン的な思想」の根付きにつながっていると今は思う。

●たとえば、ロラン=バルトやジャック=デリダ、ジャック=ラカン、そしてジル=ドゥルーズなどの扱いもまた、日本でどのように日本語で紹介されてきたかに興味がある。
 たまたま数日前も図を引用することで浅田彰氏の『構造と力』に気付いたくらいで、中身はまだ読んでいないのだけれど、YMOというか、坂本教授との親交からも見えてくる80年代との繋がりだ。
 たとえば、わたしが知っている限りにおいて「ポストモダンの日本への導入」の系譜としては、浅田彰『構造と力』があって、東浩紀氏の『存在論的、郵便的』のデリダ論があり、今その系譜につながる千葉雅也氏の『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』があるだろう。(→これらについてはこちらのブログに詳しくあった
 あるいは、わたしが今読んでいるのはやはりドゥルーズについて解説してくれる國分功一郎氏の『ドゥルーズの哲学原理』。他にもあると思うけれど、今わたしの頭の中でつながっているのは、これくらい。ポストモダンの中でもある種の系譜があるような気がしている。たとえば、メルロ=ポンティや、ハイデガー、レヴィナスなど入れていくとさらにあるだろうけれど、ここではなんとなく入られない気がしている。それは先の80年代とつながるかつながらないかという意味で。
 何しろどれも読んでいないので勘で書いているんだけど、やはりヒントになっているのは西洋近代的なツリー構造思考と離れた「リゾーム(地下茎)」の思考構造にある。

●そもそもわたしは思想界の地図を頭の中に持っているわけではない。専門家ではないので。ただ、地図を持たずに歩いている旅行者の気分でこれを書いていることをご容赦いただきたい。少しでもわたしなりの地図を作りたいという思いはあるのだけれど、積極的にどうしても作らなければならないとも考えてはいない。できるべきときにできるだろうとこれまでのことを考えても思う。

●これだけ書いておいてなんだけれど、フランス現代思想のポストモダンにおけるキーワードから何かを考えるよりは、やはり現実にある事象を具体的に拾い上げて、それがどう社会やコミュニティのなかで作用しているのか、観察したり考えていく方がわたしには圧倒的に面白く、その結果をまた思想に結びつけて考えることだろうなあと最近は感じていて、それで少しだけ心も安らいでいる。
 わたしのミッションはそもそも、思想的な概念を考えることよりも、(むしろそれも興味があるし、考え続けることはあるけれど)それらを演劇的に、戯曲の中でどう使うかでしかないからだ。乱暴な言い方をすれば、正しいかどうかは問題ではない。

●どの年代を考えるにしても、哲学はベースになる。時代を超えて人間を考える上での大いなるヒントになるし、あるいは限定的な時代を考える上でもヒントをくれる。
 誰がどこで何を言ったかを見る。それの組み合わせ。

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アートからソーシャルアクションへ

●『語りきれないこと—危機と傷みの哲学』(鷲田清一・著/角川oneテーマ21)を読了した。長くジワジワと読んでいた。
三つの章からなる「第1章 「語りなおす」ということ」「第2章 命の世話」「第3章 言葉の世話」。
 だいぶ間が開いて、第三章を読む。

アートは、人びとと同じ世界にまみれながら、その世界の諸要素が別様に配置される可能性を直感し、それをめがけて、世界を破る、こじ開ける、狂わせることを企む。シュルレアリストのかつての合い言葉を借りれば、「生活を変える」ことをもくろむ。だから、抵抗がないということは、世界をまだ破れていないということだと感じる。「危なくない」アートは飾り物にすぎないと感じる。

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●昨今の地方でのアートフェスタでの、現代美術の受け入れられ具合に辟易する声があったというのをどこかで見たが、なるほどそういう声だったか。
 ここ数日ずっと考えているテーマでもある。アートとデザイン。アートからソーシャルデザインへ。そのために手段としてポップであり開かれていること。ただ、「尖りながら」というのがわたしの中では必ず必要で、それなければ「危なくない」飾り物に成り下がる。
 つまりこの問題は、わたしがこの地方でどのように演劇と関わっていくか考えるキッカケをくれる。
●自分の気心の知れたコミュニケーション圏に閉じこもることなく、他のコミュニケーション圏とどう話をするか。
 そのために、何の利害関係もない市民があつまって、一つのテーマについてただ語り合い、そこから一つの劇とも言えない劇を作り上げていくことについて考えていた。短いスケッチを考えながら、それを構成していく手法でもよい。ソーシャルアクションとしての活動が何かできるかもしれない。

●それ以外にも考えさせられることはたくさんあった。
 価値判断を専門家まかせでなくわたしたちが市民となって自分たちですること。
 パブリック・オピニオン(公論・世論)とポピュラー・センチメント(民衆感情)、日本人はあくまでも動いているのはオピニオンではなく、センチメントで動いていること。だからこそ、新たにオピニオンをまとめるための技術を高める必要がある。
 日本で「責任」を声高に(つまり、感情的に)叫ぶ声に激しい苛立ちを持ちながら、わたしたちが今取り組むべきは、もっと具体的に何をどうするかを新しい意見を合意させて、形成していくこと。「語り」のしくみそのものを、作り直すこと。
●そのためにも、身体感度を高めること。おかしなことや不快さに正直であること。そして、相手を倒すための議論ではなく、自分も変わるために、差異を認めるために対話をすることだ。

●もっとつっこんだ本質的なところまで書けていないが、続きは明日にしよう。深夜の地震ですっかり目が醒めてしまったが、眠らなければ。

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年賀状からの無用の用

●年賀状が全然終わらない上に、仕事の方もあれこれと山積みで、どんどん保留されていくから、モヤモヤしてしょうがない。
●せめて仕事のことはさくさくと終わらせていきたいのだけれど、曖昧な意志決定がないまま、時だけが流れていく感じがどうにも嫌な感じなんだ。
 とはいえ、まるで何かをやり遂げたような達成感はあるのに、まるで何もやっていないということは往々にしてある。
●むしろ、達成感なんかなくて、なんだかよくわからないうちに変化しているということのほうが、真の実力がついている状態と言えるのかもしれないななどと考えるものの、実力を付ける過程の話と、単なる事務処理を混同してはならないのかもしれない。
 やればやったで終わる仕事はとにかくスピードがはやく、正確であれば、それに越したことはない。経済の観点からすれば。
●ただなあ、もっと無駄なものを許容できる仕事に価値を転換できないかなあとも考えてしまうのだ。

●たとえば、当時90年代後半からなぜあんなに「自分探し」や「やりたいこと」みたいな幻想が蔓延ったか不思議だが、それもきっと無意識に「対効率」という旗印があったからなのではないかとふと思い立つ。
 原発に象徴される「効率と経済」のためではない何か。いかに無駄であるか、非効率であるかの振る舞いは、いかなる言説よりもストレートに「アンチ効率」の旗印になっただろう。
●それを考えるには老荘思想が大いにヒントになるだろうが、老荘思想は人を堕落させると効率優先社会の人達は言ったのだ。今の中国そのものだ。老荘思想の排除、無駄の排除。
 あるいは、いかに合理的効率的な組織を作るかは、軍隊を例に引き合いに出されるが、会社のピラミッド型組織図はいまだにそこから抜け出せていない。何か違う。

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Web開設10周年

見学者のホームページは、旧劇団時代の1999年2月22日に開設されました。
それから本日で丸10年を迎えました。
ほぼ毎日のように日記を書き続けました。ほとんど日記だけの更新でしたが、これを機にTOPページも新たにしていきます。
今後とも見学者及びkengakusha.comをよろしくお願いいたします。