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便利にすることの理由

130220

●便利なものが登場したことによって失われたものについてここしばらくずっと考えてきた。
 それを代表するのはいわゆる戦後日本の三種の神器「白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫」から高度経済成長期にはいわゆる3C「カラーテレビ・クーラー・カー(車)」に。2000年代には「デジカメ・DVDレコーダー・薄型テレビ」と一般的に言われている。

●中国では文革から短いスパンで急激な高度成長を遂げた。日本のようにゆったりと三種の神器が変遷したわけではない。10年前わたしが駐在していた頃から、パソコンと車が一気に来たのだし、車を持つ人びともますます増える一方だ。
 それは第二次産業による高度成長と、いわゆる「IT革命」が同時にやってきたようなものだ。
●しかし、それとは別に彼らは旧正月にはまだ家族のために苦労して長距離を移動して田舎に帰り、家族を大事にしようという習慣が残っている。

●そういう意味でもっとも大きな差はやはりコンビニなのだと思った。コンビニが日本の家族を解体させた、と改めて思う。

●とはいえ、コンビニを代表する便利なものをわたしたちはここにすべて置いて前近代的な生活に戻ることはできない。
 これからもまだまだ便利になり、」「動かなくて良くなるし、考えなくて良くなる」だろうし、「一人で生きていける」ようになるだろう。

●そんななか、敢えて「動く」「考える」「誰かと共生する」ことと、数々の「面倒」を受け入れることが、「消費」とは別の次元でわたしたちが社会の中に存在することの意味を与えてくれる。

●同時にまだ便利にするための方法を散々考えて仕事している。
 どうやったら入力が減るか、どうやったら移動の歩数が減るか、どうやったらシステムはより完全になるか、どうやったらより無駄なく正確にできるか。どうやったら楽にできるか。
●わたしはわたしでBluetoothでテレビの音をどうやって同時に少し離れたキッチンでも鳴らせるか、そんな装置を探したりしている。
 または、どういう仕事場のレイアウトがベストだろうかと考える。楽にするために。

●なんのために楽にするのかわからなくなりながら。

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