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何も書かない一月

140131

●わたしは何も書かなかった。本当に何も書かなかったな。テキストとして起こすことはなかった。ただ考えていた。考えて環境を整えて、それで一月という月が終わり、このブログも書かなくなってから一月が経ち、書かないとなればいくらでも書かないでいられることに自分で驚きもした。

●ただ、この最終週、震災直後に届いたこのMacbookPro”13のハードディスクは一度交換したものの、まただめになった。文字通りかりかりと音を立てて少しずつ壊れていった。
●この生き物のように死んでいくハードディスクの存在を思いながら考えていたのは、わたしが生まれた町で起きたアクリフーズの事件だった。2008年の冷凍餃子がわたしの周囲にいた人たちの経済環境にも影響を与えたように、今回の事件も確実に影響を与えるだろう。それはコロッとは死なないハードディスクのように緩やかに死んでいく。あるいは逆に言えば、死んだように見えても死なない。

●つまり、近代の問題はずっとわたしの前に横たわっていて、どんなに完璧な近代的管理体制を整えたとしても一つの小さな異分子が暴走することをコントロールはできない。そして、そんな異分子が生まれることそのものを問題にしなければ、われわれの社会はただただ窮屈なものになっていくだけだろう。とは言え同時に、ニヒリズムから暴走する異分子を肯定することもまた無意味だ。

●今こそこのあらゆる曖昧さに耐えなければならない。白黒ハッキリ付けようとする人間のことを簡単に信じてはいけない。

●しかし、それを言い訳に書かなかったことを肯定しようと曖昧にしたいわけではない。書かなければならないし、書きたいとも思っている。ドラマなのかポストドラマなのか、物語なのか出来事なのか、そのどちらでもない曖昧なものにしようと思っている。はっきりしてたまるか。