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「中国・上海/白昼散歩篇」
●街を歩く 部屋で腰を落ち着けてしまうと「どーん」とした気分になり、ややもすると昼寝をしてしまうので、ロビーで手に入れた日本語の上海情報誌(「なんとかウォーカー」のようなもの)に載っている地図を頼りに街を歩くことにした。歩く以外にその街を知るすべはなし。これは見学者の信条である。あるいは、猫と同じである。というか、当たり前だ。 ヒルトン前の、雨だからか止まったままのエスカレーター付き歩道橋を渡り、向かいのローソンで、折りたたみ傘を2本、からあげクン(串刺し)にマッシュポテトを購入。おべんとうもあるし、おでんもある。で、いろんな種類の肉まんも置いてあったりする。レジのおばちゃんもあの青ストライプの制服姿で立っている。日本語が通じそうで通じない。ちょっともどかしい。 ローソンを出て、足が向いた方向に歩き始める。からあげクン片手に歩く。雨はあがってしまった。 歩き始めてからずっと奇妙な感じがしていた。知らない街を歩いているような気がしない。ちょうど、新宿や代々木あたりを歩いている気がした。何がそう思わせるのかと、あたりを見渡す。頭上には高速道路、歩道には電柱、背の低い古びた民家がある。歩道のそこここには自転車がある。わたしの今住んでいる大連開発区には、高額所得者・外国人向けの別荘区以外に一戸建ての家を見たことがなく、ほとんどが6階建て以上の集合住宅だから、日本の街並に似ていると感じたのかもしれない。 十数年前、上海に来たときには、自転車が群れをなして走っていた。さびついたいかついがたいの自転車ばかりだった。「自転車は一般的な労働者にとって月収の何倍もする大変高価なものです」と、あの時のガイドは言った。今、次々とそばを走っていく自動車はワックスぴかぴかの高級車だ。マウンテンバイクは、煉瓦塀に立て掛かっている。ただ、迷彩柄をした幹のプラタナスの並木は十数年前と変わっていなかった。 しばらく歩いていると、「閑静な住宅街」風の通りにでた。通りが青山らしいと感じたのは、—あまり青山に縁のない生活をしていたので、青山っぽいイメージということになるかもしれないが—ツタの絡まる赤煉瓦の塀や、建物が洋風の作りであったりするからで、さらに足下を注意して見れば、歩道は石畳だったりする。上海が青山っぽいのではなく、青山が洋風なだけなんだ。今、気づいた。 ●甘いカレーパンとお嬢さん 大通りに出てからは、ただただひたすら道なりに歩いた。気づくと見慣れた看板が並ぶあたりまで来ていた。無我の境地を歩いていたようだ。まだまだ三途の川は渡れない。 ミスタードーナツの看板がこちらの世界に呼び戻してくれた。息も切れたところで、ミスドに入る。 この店舗は、客がトレーに商品を取ってレジへ持ってゆくセルフ方式だ。ミスドには、パン屋さんのようにトレーにドーナツを載せてレジへ持って行くタイプと、ケーキ屋さんのようにショーケースに入ったドーナツを店員に伝えて取ってもらうタイプの2つがある。こちらの国民性を考えるに、この店舗の選択は正しかったのだろうかと、客の私が幾分心配になる。トレーとトングを取りに行くと、日本では見慣れたあの制服の店員がドーナツの側に立っている。やっぱり。誰か見てないと、混ぜ返されてエンゼルフレンチから生クリームが飛び出してるなんてことになりかねない。そんな姿は見たくない。 わたしはシナモンとエンゼルフレンチ、連れはカレーパンと、揚げあんパンを選んだ。連れはカレーパンを食べて、動きが止まった。 「甘い」と、言った。あり得ない。わたしも一口いただいた。カレーが甘い。なんだこれは。どこでどう間違えば、カレーが甘くなる。こういった類のチェーン店のあり方からして、作りまちがいではない。この国のミスドのカレーパンは全部甘いことになっているはずだ。カレーパンが甘い国、中国。連れは、大層がっかりした様子で、もう一つの揚げあんパンに手をつけたが、それもあまり気に入らなかったようで、仕方なくコーヒーのお代わりをもらっていた。このコーヒーもちょっと問題で、明らかに水がまずい。コーヒー豆がまずいという味ではない。テーブルに広げた日本人向けの上海情報誌には「上海の水も、上手に濾過すれば、おいしく飲めるんです」といった浄水器の広告が出ている。このコーヒーがまずい原因は土地柄にあったのだと教えられた。上手に濾過して下さいと思った。シナモンとエンゼルフレンチがおいしかったのが何よりも救い。 店の客に「JJ」系の女の子2人組がいて、少し驚いた。こちらの美容院に行くと、たまに「JJ」が置いてあったりする。「with」や「MORE」ではなくて、その路線。女の子は、エクステンションにつけまつげ、足元はやや厚底といういでたち。日本人相手のクラブのお嬢さんだ。「間違いない」。 日本人の出張者、駐在者の多い街では、日本人相手のクラブが乱立していて、日本人向け情報誌にはそういったお店の広告がページの大半を占めている。中には、日替わりで飛行機の乗務員や女子高生の制服で接客というものもあったりするから、閉口するしかない。わたし自身連れと一緒にいると、クラブの女と勘違いしたような口ぶりで話しかけられたりして、日本人とは概してそういうものだと思われている。逆に、「中国って、そういうこともやっちゃっていいんでしょ?」とひどい考え違いをしている日本人もいる。そんなことだから、日本の携帯にまで電話がかかってきたり、果ては指名手配にされてしまう。中国に来た当初は、同伴光景を目の当たりにするたび、吐き気がした。今は、もう慣れた。 ●大通りと路地裏の劇場 ドーナツを半分ほど残して、店を出た。通りには、吉野屋やケンタッキーフライドチキン、ビックエコーまであったりして、わたしが日本しか知らないからそういったものばかり目に付くが、他にも別の国の資本のお店だってたくさんあるはずだ。 通りの交差点では、黄色いカッパをきた交通整理の警察官らしき人がいる。信号機があるにもかかわらず、細い脇道から入ってくる車と大通りを行く人や自転車の群れとがお互いに邪魔して立ち往生しそうになるのを、体を張って何とか食い止めている。見るからに大変な仕事と思われ、少し同情した。ちなみに大連開発区には革製の制服とロングブーツ、ターミネーター風のサングラスを装備した女性の交通警察官が町の交差点の真ん中に立っているが、かっこつけすぎの感があって、なんだかなあという気分にさせられる。こちら上海の交通整理は、必要に迫られて配置されたようで、黄色い背中に悲壮感さえ漂う。がんばってね、と声をかけたくなる。 帰りは、来た道ではないルートを行こうと、気の向くまま道を折れる。通りを一本入ったところで、連れの携帯が鳴る。「見学者」ではない「仕事」の話らしい。話しながら歩くことが不得手な連れは、立ち止まってその場をぐるぐると回り始めた。通りを見渡すと、目の前のビルの角に劇場があった。看板がなければ、それとは気づかなかった。「なんとか劇場」と看板があがっていた。中をのぞくと、会場案内のおねえさんらしき人がひとりいた。もう、開演しているのだろうか。ポスターか何かあるのではないかと壁にそって歩いてみたが、それらしきものは見あたらなかったし、ポスターが貼られそうな場所はどこにも見あたらない。劇場の構えからして、京劇や演芸ではなく。日本でいうと文学座とか民芸とか、そういった王道の現代劇を上演しているように思われた。「実験的な」演劇は、一般の人の目に触れない大学の構内でしか上演されないと聞いたことがあるから、町中の劇場でもあることだし「王道」なのだろう。それとも、今上演中の舞台のポスターがないということは、一般の人には公開されない「実験的な」演劇なのだろうか。ガラス戸の向こうのおねえさんはいぶかしげにこちらを見ていた。 ●いきどまりの娘 街歩きの途中、明日仕事で必要な名刺を作ってくれる店を探し、「名刺」と看板に出ている店をあたってみたが、それは俺たちの仕事じゃないねと言わんばかりの態度で「明後日になるよ」と断られ、あとはホテルのフロントに頼むしかないかと半ば諦めてホテル近くまで戻ってきた。大通りに面した小ぎれいなお店の並びに、人ひとり通れるくらいの巾で奥行き10mほどの路地があった。路地の入り口の看板には、「コピー・はんこ・名刺」とある。その路地の一番奥に印刷屋があった。印刷屋というか、印刷屋の営業所といったところで、薄暗い八畳くらいの土間にデスクトップパソコン、プリンター、半畳ほどの大きさのCADか何かの出力機、コピー機、小さめの食卓、真ん中にとっちらかった机、その他大小様々なものが雑然と置かれ、人が3人いると狭苦しく感じる。食卓は、かなり年季の入ったものらしいが、天板に螺鈿のラインが入った黒檀作りのようにも見え、緩い曲線のきいた足もかわいらしい。こういう家具が生活の中に生きて在ると、歴史のある街なんだと感じる。足下をキジ虎の子猫が駆け抜けて行き、さらに下町感が高まる。 二十歳そこそこの、気取りのない女性—というより女の子といったほうがふさわしい感じの—が1人で店番していた。名刺を作ってほしいと告げ、自分たちの持っていた名刺を見せると、色数やロゴデザインについて確認すべき事柄をいくつかたずねてきた。慣れている。こちらも印刷の仕事をしているのでその的確な質問に安心感を覚えた。できあがりは明日の昼12時になるというが、それでは半日つぶれてしまうので仕事にならないから、せめて10時にできないかと頼むと「じゃ、9時半にはあげておくよ」と言ってくれた。100枚一箱600円弱。オフセット印刷の名刺で版下から作ってさらに特急なのだから多少ふっかけられていたとしても、妥当な値段だと思う。いい娘さんだった。 |