「中国・上海/夕暮れ散歩篇」


地下鉄に乗る
 街歩きから戻って2時間ほど部屋で休み、日が暮れてからしばらく経った頃、再び外に出た。「外灘(バンド)」と呼ばれる観光名所を目指して出かける。観光名所なんだから観ておいてもいいだろうとあまり積極的とはいえない態度で臨む。
 目的地は歩くには遠すぎるところにあり、タクシーを使うのも面白みにかけるので、地下鉄で行くことにした。地図によると、ホテルからそれほど遠くない場所に地下鉄の駅がある。
 駅への入り口を見つけるまで少し迷ったが、地下鉄の駅がありそうな予感をさせる地下広場に下りてゆくと、それはあった。駅の構内へ入る。日本の地下鉄の駅と雰囲気はさほど変わらない。券売機を見つけ、その前に立ってじっと「券売機の使い方」を読む。まず、行き先のボタンを押し、コインを入れる。そうすると切符がでる仕組み、とある。終点まで行っても2元(約28円)。1元と2元の切符しかないようだ。1元には硬貨と紙幣があるが、券売機にはコインの投入口しかない。コインを探して入れた。券売機から出てきたのは使い古されたテレホンカードのようなものだった。表面の印刷はかすれてだいぶ薄くなっている。連れの切符を見ると、わたしのものよりいくらか状態が良く、描かれたイラストも違う。そっちがよかったと、子供じみたことを口にしてしまう。
■上海・地下鉄の自動改札機■
 切符を手に勇んで改札へ。先を行く人が、自動改札機にカードを差し込んでいる。これも日本のものとあまり変わらないらしい。カードを差し込む。前に進みながら、Suicaのようなタッチパネルも付いているのだろうかと改札機を眺めていると、回転バーが行く手を遮った。隣の改札を通り抜けた連れが「うしろ、うしろ」という。何が後ろなのかと体をよじると、カードは差し込んだ所のすぐそばに飛び出ていた。シュッと入れ、数歩前に進み、切符を取る。これが自動改札機の作法だと体が覚えていたが、不意打ちを喰らった。シュッ、つまむ、前進。上海の自動改札機はこのような作法であった。

外灘Waitan
 静安寺駅から、3つか4つ目の駅で降りた。地上へ出ると、にぎやかな大通りだった。ショーウインドーが並んでいる。歩いていると向こうから来る人と肩をぶつけることもあった。駅から少し不安になる程度歩くと、ようやく突き当たりの浦黄江に行き当たった。土手の向こうにミラーボールが串に刺さったような、タワーが見えた。その脇にUFOのようなものが見える。その周りにもネオンで浮き上がるビル群が見える。装飾過多に息が詰まりそうになった。
 土手の上は、遊歩道になっているらしく、人々のざわめく声が聞こえた。空にはチカチカ発光するカイトが飛んでいるし、ここにもカード配りがいる。いっぺんにうんざりした気分になった。通りを渡って土手の手前で振り返ると、どこかの遊園地のパレードさながらライトアップされた洋館が並んでいた。その建物の看板をよく見ると、どれも銀行である。エレクトリカル・バンク・パレード。これを山車にしないか。
■上海・銀行通り■
 土手に上がらず、地下に下りた。なぜなら、地下へとつづく階段がそこにあったからだ。地下鉄の構内のような所を入っていくと、「外灘観光海道」と看板が掲げてあった。その海道は対岸のテレビ塔まで繋がっているようで、有料になっている。彼岸へ行けば、すぐには戻ってはこれないだろうし、間もなく腹も減る予定になっている。わざわざ、あんな電飾の中に行くことはなかろうと、その先にはいかないことにした。
 地上へ戻って、土手へ上がった。カード配りがすれ違いざまにぶつかってくるようにしてカードを差し出す。こちらはポケットに手を突っ込んで彼らをかわす。かわしながら川べりへ。
 土手の上は遊歩道になっていて、中国人の観光客が大勢いる。みな手にしたカメラで電飾ビル群を背景に記念撮影をしては、「まあ、きれいね」と口にしている。  連れは、華美な電飾ビル群をカメラに収めていた。不覚にも、絵はがきに使えそうな写真を撮ってしまったようだ。
■上海・外灘■
 遊歩道をあてどもなく人のいない方へ進んでいく。人もまばらな遊歩道には、人目をはばかりたい二人連れが目立ち、隅にしつらえられたベンチで寄り添っている。街灯もかなり薄暗く、うっかりしてそのような人々のすぐ前を通りすがったりもしてしまった。
 写真を撮る男達を写真に撮り、地図もろくに見ずに、そぞろ歩き。 かなり長いこと歩いた。お腹もだいぶ空いてきた。商業ビルに挟まれた歩行者天国の様なところをどこかおいしいものが食べられそうなところを探して歩いた。わざわざ路地裏の食堂へ入った。上海の家庭料理と看板が立っていた。中に入ると、けだるい雰囲気に包まれていた。従業員か客か隣の店のおばちゃんかわからないような人がばらばらとテーブルに腰掛け4、5人が口を開けてテレビを見ている。命中した、と思った。もちろん、よい意味での命中ではない。こういうところでは、必ず駄目なところに行き当たってしまう。一番奥の席につき、メニューを見ると大連とそれほど変わったところのないものが並んでいる。どうにか食べられそうなものを注文する。皮蛋豆腐に炒飯、何が入っているかわからないスープ、水餃子、獅頭と呼ばれる大きなミートボール。わたしたちが来る前から用意していたのかと思うほどの速さで皮蛋豆腐が出てきた。豆腐が見えないほど大量の香菜(別名コリアンダー)のとニンニクのみじん切りが乗っている。もともとそういったハーブ系が苦手な連れは愕然としている。厨房に向かって、あとの料理には香菜を入れないように言った。が、何となくどの皿にもちょっとずつのってくるのは、なぜだ。連れは惨敗した面持ちで、炒飯を食べていた。

物を乞う人々
○頭を振る人。
 遠くに見えたその姿は、何かの修行か礼拝のようだと思った。敷物を広げ2人で歩道の脇に正座し、1人は1回/1.25秒の速いペースで土下座していて、頭を振る反動で折り曲げた足も浮きそうである。もう1人は何事かを大声で通行人に訴えている。着ているものも汚れてはいるが、それほどひどい身なりではなく、二人とも年は若い。頭を上げ下げする方は10代にも見える。彼らの前に広げられた数枚の大きな紙の上には、訴え事であろう文章が毛筆でびっしり書かれている。そして、その脇にはいくらか小銭が入ったお椀がある。これに似たようなことをする二人組を別の場所でも見かけた。どちらの組も土下座する人は決してそのペースを崩すことなく頭を振っていた。そのうち宙に浮くのではないかと思った。彼にとっては、修行なのかもしれない。  ○風邪をひいたかもしれないと泣き言をいう連れとようやくたどり着いた地下鉄の駅前は工事中で、すぐ目の前にある駅構内に入ることができず、迂回路を通って別の入り口へと向かっていた。歩道橋の階段を下り、わたしたちは緩い角を曲がったのだと思う。

 目の前に、人が横たわっていた。

 「行き倒れ」だと思った。工事で狭くなった歩道のまんなかに倒れていた。酔っぱらいが寝ているのではないとわかったのは、その身なりからで、その衣服のぼろ具合は並大抵の着古しかたではない。こんな街なかで、人が行き交うこの場所で、このご時世に。上海とはいえ、冬なのだから凍え死んだのだと思った。救急車とか呼ばなくていいんだろうか、いや、死んでるんだったら交番だろうかと歩みを進めると、彼の顔の脇に手に握られた茶碗があった。茶碗は、ゆっくり上下に動いている。死んでいるのではない。彼もまた物を乞う人であった。その手は、身体が極限の状態にあって小刻みに震えているのではなく、意識的に動かされている。彼はわざわざ人通りの多いこの通りを選び、人が迷惑するように道をふさぎ、人の目を集めることに成功した。遠ざかってから、わたしたちは彼の過剰なまでの自己演出ぶりを評した。  ○ホテルに戻る前に、またコンビニに立ち寄った。コンビニ前には、子供を抱えた女性と5、6歳くらいの女の子の手をひいた老婆が寄り添っていた。老婆は、空き缶かボウルの様なものを差し出して近寄ってきた。わたしは、さっきの食堂で飲んでいたミネラルウォーターのペットボトルを持ち帰って来てしまい、それを入れる鞄もなかったので、コンビニの外で連れを待っていようかとも思ったが、外にいて彼女たちと親交をもつ勇気はなかったので、店の中に入ってすぐ—日本ならスポーツ新聞やコピー機が置いてある場所に—内を向いて立っていた。外を向けば彼女たちと目を合わせることになる。ガラス越しに彼女達を観察するなど彼女たちの気を荒立てるようなことをしてホテルまで追いかけられては困るからで、しかしながら、外に立つ彼女たちはわたしをしっかり観察していた、と思う。連れは、食堂で出たものには余り食が進まなかったらしいが、おにぎりを4個とジュース、わたしが飲むための生茶を買っていた。ジュースは果汁100%だと書いてあるがなんとなく嘘くさい感じがする。病院で処方される水薬が入っているような小さめのペットボトルだったから余計にそう感じたのかもしれない。

(written by Hitomi Kuramitsu)

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