「小樽・小樽運河篇」


まずは小樽の寿司を食う

■寿司屋の並ぶ通り■
  札幌から快速エアポートで30分ほどで小樽駅。車内はひどく混んでいた。特に観光シーズンというわけでもないのだが、小樽はやはり人気がある。
  特に石原裕次郎記念館があるのは、とてもポイントが高いのではないだろうか。小樽駅の一つ手前、南小樽駅で多くの中年男性、中年女性が降りていくのはきっとそのためだと想像した。
  小樽駅に着くと、駅前は札幌ほどの都市っぷりはないものの、駅前はそれなりの地方都市風情。観光案内所でもらった地図を見ると、原宿のように見えなくもない。ん、いや、原宿ってことはないか。まあ、駅前のショッピングモールというか商店街には、それなりにいろいろとありそうだ。何はともあれ、それなりの風情なのだ。
■うに・いくら丼■
  で、駅前から少し離れたところに、目的の寿司屋街があった。
  海に面したその道は、漁師の町とでもいうような雰囲気で先ほどのイメージとはまた大きく変わる。魚の生臭いにおいと海のしおのにおい。
  テレビ東京の『テレビチャンピオン』で大食い選手権が収録されていた、関根勤のマネージャー・しかま君の実家「しかま寿司」へ入った。目的はその番組で散々食われていた「ウニ・イクラ丼」である。一杯三千円。量は物足りないが、絶品である。
  やはり北海道では、食べる。とにかく食べてしまう。いや、見なければ。見ることが仕事だ。

小樽運河沿いに歩く

■小樽運河■
  腹も満たされ、満足したわたしは、仕事に戻る。歩いて、見ることが仕事だ。寿司屋街をそのまま海に向かって歩くと、そこは、あの小樽運河だった。
  左写真のスタート地点(?)では、多くの観光客がいる。外国人観光客も、よく見かける。彼らは一様にこのアングルからシャッターを切っていた。つまり、これこそが、小樽運河である。先行されるイメージとしての小樽運河だ。
  ここの何が人を魅了するのだろうか。やはり歴史だろうか。歴史的な建造物もかなりの数、この周辺にあるという。確かに歴史を辿ってものを見ることは、ある一つのものの見方に違いない。しかし、生憎、わたしは歴史のことはよくわからない。興味が湧いてこないのだった。いや、興味がないことはない。しかし、わたしの仕事はそこにはない。どう、何を見るかだ。一面的に作り上げられた小樽のイメージとは違う、また別の側面を見なければならない。
  で、少し、小樽運河沿いを歩くことにした。
■小樽運河をゆく人■
  川沿いの道を歩くためには、緩やかだがスロープを降りなければならなかった。しかし、地面の凍ったスロープは危険だ。階段もあるが、そちらは冬季期間中使用禁止になっている。危険だからだろう。しかし、スロープもなかなかどうして危険である。実際、その緩やかな凍った坂を警戒してか、実際に運河沿いを歩く人は数多くいなかった。それでも、おそらくそのスロープの近くにいれば、五分に一回は小さな悲鳴が聞けるだろう。つまるところ、危険なのだった。
  転ばないように丁寧に歩いてみると、やはり風情がある。どの川辺でもそうだが、何か風情としか言いようのないものを感じる。川辺には何かあるに違いない。そもそも、水のあるところに人は集まるものだ。
■小樽港にある倉庫■
  二回ずつ、緩やかだが危険なスロープを上り下りして、そこに辿り着いた。海の気配が近づいている。右に曲がれば、小樽港。
  そこにこの倉庫があった。潮風にあたるためか、手すりや階段は赤錆でやられている。この廃墟のような建造物が、何か物語めいたものを感じさせる。整然と並んだドアと階段。いかにも港を感じさせてくれるじゃないか。
■小樽港■ ■小樽港に見た何者か■
  早速、小樽港まで出てみることにした。さすがにここでは観光客の姿はない。すでにトラックの往来もあり、仕事の現場である。
  トラックに雪の溶けた泥水を飛ばされながら、向かった先で何者かを発見した。左写真の一部を拡大したものが、右写真だ。ガイコツのようなものはどこかを眺めている。その先では、この街の人だろうか、釣りをしていた。
 
海を見たらば、山へ行け
 
■天狗山スキー場■
  一度、市内に戻り、フルーツパーラーで休憩をとってから、バスに乗る。夜が来る前に、山を見ようと思った。ロープウェイがあるからだ。天狗山ロープウェイ。(大人:片道600円。往復1,000円。)市内からバスで20分ほどで目的の天狗山についたが、その間、ウトウトしてしまい、目が覚めると山の上だった。しかも、もう随分と薄暗い。急に夜が来てしまったようだ。
  ロープウェイは終了時間を迎えていた。
  そこはスキー場にもなっていて、まばらに帰り支度を始めるスキー客の姿があるだけだ。日も陰り、山の上は一段と寒い。
■天狗山から見た小樽の街■
  すぐに次のバスを待つべく、バス停に戻った。
  バスが来るまでの間、天狗山から街を見下ろすと、すっかり夜であった。見下ろしたその街に自分の家があるように感じた。
  そんなはずはもちろんない。
  しかし、そう感じたのは、身体が疲れていたせいか、夜のせいだろうと思った。


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