ダンス Archive
毎日五輪
多分、こんなにちゃんとオリンピックを見ているのは久しぶりなんじゃないかと思う。出勤前にちょっと見て、帰宅後にはダイジェストを見る毎日。
女子フィギュアスケートのトップ争いはもちろんだが、昨日ちらっとだけみた鈴木明子という人の演技が気になっていた。ダンサー的な要素が強い人だぞ、と。ダイジェストでもほんのちょっとしか見ることができなかった。ちゃんと見たかった。仕方なしにYouTubeで過去の動画を見る。惹きつけたのは躍動感だろうか。しなやかさ、ともちょっと違う。伸びやか、なのかな。機会があればエキシビションで踊っているところが見たい。
日々の接骨院通いで腰の痛みもほとんど取れてきた。肩こりがひどいと言われる。言われなくてもわかっているよ。
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カメの失踪と
カメがいなくなった。ベランダを探してもいない。下の階の住人は不在で、探しに行くこともできない。たぶん、いると思うので、余計にもやもやする。相棒のササキはぽつんと水槽の中で息を潜めている。
ピナ・バウシュが亡くなった。ずーん、とお腹の底に石が沈んでいくようだ。
カメの話と並列して書くことじゃないが、これも今日の記録。
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地点「三人姉妹」で夢中
小言を言われながら、吉祥寺シアターへ。
久しぶりの地点。今回は「三人姉妹」。ぴんと張りつめた空気の中、刺々しいことばに、くすりとさせる可笑しさが紛れ込みながら、チェーホフの台詞がするすると滑り込む。再構築された世界が丸ごと美しい。
「地点」の作品は、演劇とか芝居という言葉で括れない、だからってダンスでもないし、いちばんしっくりするのは「舞台」なのだ。観ているこちらの身体感覚は、ダンスを観るときの状態に近いと思う。
観ているうちに意欲がむくむくと沸き上がり、見終わってからもとにかく街が歩きたくなり、新宿で降りて紀伊国屋に行こうとしたが、風景を見ながら歩くことに夢中で気付けば高島屋の随分上の階にいた。
その後、書店へたどり着き、森山大道著「もうひとつの国へ」と、梅佳代撮影「じいちゃんさま」を購入。
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パラリンピックの開幕式も
読書をしながらブレーンストーミング。最初のうちは、なかなかギアが入らず焦ってしまったが、それもしょうがない。続けているうちに、身体は起きる。
で、適度にドライブモードに切り替わった状態で、パラリンピックの開会式を観たのだが、オリンピックのときよりも楽しめたように思う。
これは観ているわたしの状態によるものか、それとも他の人もそう感じているだろうか。オリンピックの時はこちらの身体が動きたくてもぞもぞするということがほぼなかったが、今日の方がそういう場面が多かったという点で、楽しめたと思う。正確な中国語かどうかあやしいところだが、「我正在真幸福!」と聞こえてくるような身体だった。
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しんみり のち 祭り
昨日ニュースで見たタモリさんの弔辞の姿と言葉を思い出して、時折しんみりする1日。仕事は無事片づいた。明後日に帰省するので、明日はその準備と他目白押し。
それでも北京オリンピックの開会式を最初から最後まで見る。カウントダウンと踊りながら描く人が印象的。過去のオリンピックの開会式をもう一度見たくなった。そんなDVDはあるのだろうか。バルセロナあたりからでも。
長い入場行進の合間に、Wordpressもアップデート終了。表向きは何にも変わっていない。そのうちこっちも、ちょこちょこいじるつもり。
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猫に不在
昨日、川の土手の脇道に猫が死んでいた。そこから100mくらい離れたところの、もっと土手を降りた所にモノトーンの猫が一匹、田んぼを眺めていた。今日、またそこを通りかかると、やはり猫の死骸はそのままで、モノトーンの猫は昨日とほぼ同じところを死んだ猫とは反対方向に歩いていた。ベタなお話を想像してしまい、寂しい気分になる。勝手なものだ。
夜は夜で、かたい身体と挌闘。100kenがストレッチってどうやればいいのかわからないというので、僭越ながら指導する。ここまでかたいと、どこから手をつけたらわからないが、かたいなりに多少はやわらかくなったようだ。わたしだってかたいことには変わりない。地道にやるしかない。今のところの目標は、ちょっと動いても怪我をしない身体。低い目標だ。
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ぐねぐねする
- 2007-10-04 (木)
- ダンス
朝。国道に横たわった犬か狸の死骸を見てしまう。前の車の下からそれが見え、目を見開く間に足下でガコンと音がした。
今日はちゃんと処理してくれただろうか。先日などは、路上で日に日に風化し、ついには被毛のついた皮の一部がアスファルトに貼り付いたままになり、通る車が起こす風でなびいてしまうほどになっていた。
このblogを昼食なんぞ食べながら読んだ方は残念なことでしたね。
ストレッチをしながらタモリさんのことを考える。タモリさんの身体もまた「頭がいい」のだなあと。内田樹氏の「私の身体は頭がいい」をちびちび読んでいるから、そんなことを思ったのだけど。
ちいさい頃から、武道をやっているとか、バレエをやっている人の、訓練されて型を身につけたさらにその先の、自分の身体をよく知って使いこなせるというのが「頭がいい」身体なのだろうな。
そんなことを脈絡無くぼーっと考えながら、ぐねぐねしているのは、単に心地良い。
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マトリョーシカ的
「わからないものを見る」ってことはどういうことなんだ?と、悩み中。もう、完全にblogを読む方に対しての配慮なしで、思ったことを書き留めます。ごめんなさいね。
・組写真を見るとき、人は1枚1枚のすき間を想像する。
・一人の作家の作品を集めた美術展では、作家の世界を体験する。
・描かれた円の円周の線が途切れていても、人はそれを円だと認識する。円が一本の線で描かれていたなら、紛れもなくそれは円だとわかる。途切れている部分を人の目と脳は補完して円だと仮定する。
「わからない」ってことは、円の途切れ方がひどくて、補完のしようがないということなのか。ましてや、それが円ではなく複雑な図形だったとしたら?
今日の日記は、すでにそれじゃないか?
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太陽のような、人
- 2007-05-23 (水)
- ダンス
以前、バレエを教わっていた野和田先生が亡くなったことを知る。
ちょうど、公演の稽古が重なってレッスンに行けなくなったころから、先生は体調を崩してレッスンは休講になっていたことは話に聞いていた。生気と知性にあふれた先生で、病気だという話を聞いた時にもにわかには信じがたかった。踊っている時の先生は、全身からグルーヴが飛び出していて、それこそ目が釘付けになったし、踊っていない時にはアンニュイでスロウな雰囲気がにじみ出ていた。レッスンが始まる前には、ほぼ毎回ハンバーガーをぱくぱく食べるお茶目な姿も披露してくれたし、いつだったか4歳になるお子さんの為に買った靴をフロアに出してしげしげと眺めては、「かわいいよねー」とため息をつく姿も印象に残っている。
先生の舞台をちゃんと観たのはたった1回きりだった。それが、悔やまれてならない。
たった半年の短い期間だったが、偉大な人の身体を間近に見て、教わって得られた感覚片は、ずっとわたしの身体に残っている。
先生とご縁があったことを心から嬉しく思います。
野和田先生のご冥福を深くお祈りいたします。
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