『存在と時間』を読むためのノート Vol.004
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序論・第一章・第四節  存在問題の存在的優位
 先週予告したとおり、存在問題(「存在学」という学問があったとすればそれ)がどれだけ他の学一般と比較し、優位であるかを今回は存在的に検証するらしい。「存在的に優位である」とはどういうことか。またややこしい話になりそうだ。
 と思っていたのだが、今回は前回出現した「現存在」についての考察。さらに「実存」というキーワードも出てくるし、「実存性」または「実存的了解内容」という専門用語がたくさん出てくる。ここを越えないと「存在問題の優位」に近づけないようだ。

 まずハイデガーはこういう意味の内容で切り出す。
 「現存在は他の存在者より際立っている。なぜなら、現存在は他の存在者に比べ、存在自身と直接関わり合っているから。」
 つまり、「存在について考えている人間と、存在について考えていない人間では、存在について考えている人間のほうが優れている。暫定的に。」と言いたいらしい。いや、ただ考えていればいいと言うわけではなさそうだ。わたしの解釈ばかりだと誤解を広めることにもなりかねないので、引用する。
  現存在が存在的に際立っているのは、むしろ、この存在者にはおのれの存在においてこの存在自身へとかかわりゆくということが問題であることによってなのである。だが、そうだとすれば、現存在のこうした存在機構には、現存在のこうした存在機構には、現存在がおのれの存在においてこの存在へと態度をとる或る存在関係をもっているということ、このことが属している。しかもこのことは、これはこれで、現存在が、なんらかの仕方で表立っておのれの存在においておのれを了解しているということにほかならない。この存在者に固有なのは、おのれの存在とともに、またおのれの存在をつうじて、この存在がおのれ自身に開示されているということである。存在了解はそれ自身現存在の一つの存在規定性なのである。
(本書注・「存在は、しかしここでは、人間の存在(実存)としてだけ[考えられているの]ではない。そのことは以下に続く論述から明らかになる。世界内存在は、存在全体へと関わる実存の連関、すなわち、存在了解を、それ自身のうちに含んでいるからである。」と後年のハイデガーは注意を促している。)
現存在が存在的に際立っているということは、現存在が存在論的に存在しているという点にある。

 長い引用になったが、これを一読して内容を完全に把握できる人間などいないと思う。なんてややこしい書き方をするんだろうと、本当にハイデガーを恨むよ。とにかく、単に存在について考えているということではなく、存在へとある態度をとり、存在と関わり合っていなければならない。
 さらにこう続く。
  現存在が(みずからに固有のものとしての)それへとこれこれしかじかの態度をとることができ、またつねになんらかの仕方で態度をとっている(あの)存在自身を、われわれは実存と名付ける。

 ここでいう「実存」と「現存在」の区別が今の段階ではいまひとつはっきりしない。わからないのだが、非常に重要なポイントだという気がする。まあ、わからないのは仕方がない。このまま飛ばして先に進もう。というのも、「実存の問題は、現存在の一つの存在的な関心事」であり、「この存在的な関心事のためには、実存の存在論的構造が理論的に見通されている必要はない。」としているからだし、そもそも、この存在論的構造に対する問いは、実存一般を「構成している、存在論的な諸構造の連関」=「実存性」を解明するためにあるからだ。
 って、わたしの文章もまたややこしくなってしまう。つまり、実存は何によって構成されているかという問い=実存性もまた、これから問われていかなければならない。
 実存と現存在の問題は、つまりこれから少しずつ明らかになっていく。その前になぜ、存在の問題を問わなければならないのか、その優位性、あるいは重要性をと言った方がわかりやすいと思うが、明らかにしようという話だった。

 そこで、ハイデガーは存在問題の三つの優位を上げる。なぜ存在問題を問うことが重要か。
・第一の優位「存在的優位」…この存在者はおのれの存在において実存によって規定されているから。
・第二の優位「存在論的優位」…現存在はおのれの実存規定性にもとづいておのれ自身に即して「存在論的」であるから。
・第三の優位「存在的・存在論的優位」…現存在としてはふさわしくない存在者の存在も了解する必要があるから、つまり、すべての存在論を可能にするためにも、先んじてこの存在問題をこそ問い始めなければならないから。

 この第一の優位の「実存」と第二の優位の「実存規定性」という言葉の意味がわからないが、わからないままでよいと思う。とりあえず、これでハイデガーは満足したらしい。優位であることを実証できたと思っているようだ。こうして読んでいる時代を超えたわたしという現存在に伝達できずして、満足したらしい。まあ、いいよ。それならそれで。
 というわけでいささか強引だが、ようやく序論の第一章が終わったのだった。パラパラッとページをめくってみると、来週、再来週はさらに長くなるようだ。大丈夫か、本当に。

04/12/26


<参考文献>
『ハイデガー 存在と時間1』中公クラシックス(訳・原佑/渡邊二郎)