おしらせ

●日記「ゆらめく言語生活、在中国」は終了しました。
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「百の目、千の事象〜在中国」で引き続き、ご愛顧のほどよろしくお願い致します。

2:22 04/2/22 中国時間

 2月21日(土) 終わりに

■気を抜かず、気を張らずということでやってみたのだが、そういう状態というのは、受信の状態でベストの効果を発揮する姿勢なのかもしれない。発信するとなると、やはり全力をあげてとりかからねばならないのかもしれない。当たり前のことではあるが…。
●全力をあげて何もしない。とは、河合隼雄氏の言葉だが、わたしの座右の銘にもなっている。いかにドラマにしないか。何かしたことにしないか。したつもりにならないか。それは戯曲のなかの世界も同じ。特別なにかをしているわけではないが、ただ、俳優がそこにいるだけで表現になるには、別の何かが動いている。それをスタニスラフスキーの演技術ではなく、何か別の方法論で導き出せていけたらと思う。
●さて、途中、何度か寝てしまったのだが、そこである夢を見た。舞台のプレ公演を観に行っていた。本番ではなく、あくまでもプレ公演ということで、客はわたしと妻の二人。世田谷パブリックシアターくらいの大きさで、客席からは何をやっているのかわからないほど細かな舞台装置のみの転換が繰り広げられ、「どうぞ、舞台の方へ」といわれて、舞台の上でそれを見る。拙い舞台美術で、何がどうしたいのかわからない。ただ、この夢でもっと演出的な視点が重要になると考えた。どういう経緯かはよくわからないが、そう考えたのは間違いない。
●NHKワールドプレミアムで放送された『里山 命をめぐる水辺 琵琶湖畔ー写真家今森光彦の世界ー』が面白かった。 ちょうど、今回の戯曲世界と同じテーマを持っているように思ったし、そこに出現するひとつひとつの素材が、今考えていることともリンクして、刺激的だった。

 〜終わりに
●さて、この日記は今日まで。明日から新しい日記の始まり。とはいえ、ほとんど中身は同じ。角度を変えられればとは思うものの、おそらくそれは無理だろうと予想される。中国大連での日記三部作の第三弾。いよいよ本格的に中国生活三年目に突入である。ここで悔いのない生活を送り、『次の出発』に繋げたい。

11:11 04/2/22 中国時間