夢を見ようとしていた。以前見た夢のことを小説で書きたかった。もちろん、それを夢として描くのではなく、そこで見た夢を虚構の世界として校正し直す作業になるわけだ。
映画を作るサークルのようなものに、役者として誘われる。サークルの主宰者はどこかエキセントリックなところがあって、おそらくこちらもわたしの一部だったり、どこかの劇団の主宰者だったりするイメージと繋がるわけだが、夢の視点はあくまでも役者として誘われる彼(わたし)なのだった。
今はとりあえず、この主宰者がこれから撮ろうとしている映画は処女作で、それを小説をはじめてかくわたし自身と重ねつつも、あくまでもひとりの役者の視点から、つまり自分の作業を極めて客観的に書きたかった。
で、もうひとつはその映画世界。映画の中身もまたもう一段階の虚構世界として書きたいわけだが、それもあくまでも主人公の役者が演じる役を通して見る必要があるだろう。だから、きっと意識はごちゃごちゃになる。役者としての意識。主宰者(監督)である彼を見る客観的な眼差し、それから役の中での意識。それらが渾然一体となるべきなのだ。
まあ、ありきたりの設定と言えば、そうだが、とにかく初めてのことだ。初めての小説と初めての映画という体験そのものをシンクロさせて書くしかない。
しかし、注意すべきは、演劇のように箱書きを書いてここを盛り上げようとか、ここで観客の意識を…、とか、むやみにやらなくていいということだ。わたしはあまりそういったことを考えないようにして戯曲も書いてきたつもりだが、どうやらそうでもなかったようだ。書くにあたってはそうしたものがあったほうが頼りになる。その頼りがあることで安心してしまい、惰性になる危険性が大いにある。いかに書くかには意識的であるべきだが、拠り所を作って安心するのはまた別の話だ。
とにかく、この世界をわたし自身が生きることが最優先。今まで戯曲では出来なかった表現の方法について考えながら、原稿用紙100枚を目指して書くとしよう。
中国時間 23:59 02/10/01