9月30日(月)

 夢を見ようとしていた。以前見た夢のことを小説で書きたかった。もちろん、それを夢として描くのではなく、そこで見た夢を虚構の世界として校正し直す作業になるわけだ。
 映画を作るサークルのようなものに、役者として誘われる。サークルの主宰者はどこかエキセントリックなところがあって、おそらくこちらもわたしの一部だったり、どこかの劇団の主宰者だったりするイメージと繋がるわけだが、夢の視点はあくまでも役者として誘われる彼(わたし)なのだった。
 今はとりあえず、この主宰者がこれから撮ろうとしている映画は処女作で、それを小説をはじめてかくわたし自身と重ねつつも、あくまでもひとりの役者の視点から、つまり自分の作業を極めて客観的に書きたかった。
 で、もうひとつはその映画世界。映画の中身もまたもう一段階の虚構世界として書きたいわけだが、それもあくまでも主人公の役者が演じる役を通して見る必要があるだろう。だから、きっと意識はごちゃごちゃになる。役者としての意識。主宰者(監督)である彼を見る客観的な眼差し、それから役の中での意識。それらが渾然一体となるべきなのだ。
 まあ、ありきたりの設定と言えば、そうだが、とにかく初めてのことだ。初めての小説と初めての映画という体験そのものをシンクロさせて書くしかない。
 しかし、注意すべきは、演劇のように箱書きを書いてここを盛り上げようとか、ここで観客の意識を…、とか、むやみにやらなくていいということだ。わたしはあまりそういったことを考えないようにして戯曲も書いてきたつもりだが、どうやらそうでもなかったようだ。書くにあたってはそうしたものがあったほうが頼りになる。その頼りがあることで安心してしまい、惰性になる危険性が大いにある。いかに書くかには意識的であるべきだが、拠り所を作って安心するのはまた別の話だ。
 とにかく、この世界をわたし自身が生きることが最優先。今まで戯曲では出来なかった表現の方法について考えながら、原稿用紙100枚を目指して書くとしよう。

中国時間 23:59 02/10/01

 9月29日(日)

 何もしなかった。
 久しぶりの休みということもあって、体を休めることだけに集中する。
 もちろん、日曜だから昼間は『しゃべり場』『ようこそ先輩課外授業』を欠かさず見たし、夜は『利家とまつ』。深夜には『ロッカーのハナコさん』、今週の4回分をまとめてみる。また、明日からはNHK朝の連続テレビドラマ小説『まんてん』がスタート。テレビライフは充実している。
 小説、演劇について考える作業は、明日から。一方、会社の仕事も休み中だが残っている。残っているというより、やっておかなければならないことがある。しかも、10月2日には帰国するから、日本では出勤。この先、気の休まる暇がなさそうだ。できることなら、小説についてじっくり考える時間をたくさんとりたいのだが、そういうわけで今日は休みに徹底した一日。そんな日があってもいいはずだ。

中国時間 1:34 02/09/30

 9月28日(土)

 土曜日だが、仕事。国慶節前最後の一日ということもあって、昨日と一転、落ち着いた一日だった。
 ここのところ、夕方になると嵐が来る。
 いや、これは比喩ではなくて、本物の嵐である。雨がしばらく降らなかった大連では珍しい雨。

中国時間 1:12 02/09/30

 9月27日(金)

 昨日の日記を書きはしたが、更新するには至らなかった。
 今日は久しぶりに恐ろしくバタバタした一日だった。たまにこういったことがあるから中国でのビジネスは面白い。面白がらないとやってられないくらいのバタバタさだ。お客さんと話していても、多くのお客さんは「中国だから仕方ない」という言葉がまかり通る。基本的に約束は守らない。たとえば「いつ何かが届く」という約束の場合、それがいつになるのか本当にいつになるかわからない。
 たとえば、電話がよく通じなくなるが、公共の電信局というところに問い合わせると、なかなか来ない上、口角泡を飛ばしながら、かなりあれこれ文句を言う。というのも、それぞれ地域に担当者がいて、そこの電話が不通になると担当者は給料が減る。そうした公共システムに社員は着いていかないというか、どうしてもごまかしに走る。
 結果的にそうしたごまかしがまかり通るようになり、そしてまた次のドタバタを産む。
 かつての日本もきっとそうだったのだろうと思う。
 しかし、当の中国人達はそうした体質に誇りすら持っている者もいる。西洋かぶれの日本人をあざけ笑っているのではないか。そうした人びとが守ろうとしているもののなかにもきっと東洋の魂が隠されているはず。

中国時間 22:12 02/09/27

 9月26日(木)

 例外的に会社の昼休みを利用しての更新。今日(事実上の昨日、つまり26日)は、仕事でかなりのストレスが溜まった。人に頭を下げるのはそれほど苦じゃないが、間違ったことをいわれると、グッとこらえ、後で見ていろと思うねちっこい体質のため、それがストレスになる。性格的にカラッとはできないのかもしれない。
 だからこそ、カラッとした別役さんの芝居に憧れたし、その醒めた視点が醒めた笑いに変わるとき、思考が発生するシステムが好きだった。しかし、それは極めてロジカルなこと。たとえば、ここ中国でそのような芝居をするにあたっては、言語の問題が大きく横たわっている。それに…、今の印象では、(ここが致命的なことなのだが、)中国人はあまり論理的でない。いや、見方を変えれば論理的だと言える場面に遭遇できるかもしれない。そもそも別役さんの戯曲も、非論理的な現象を論理的な構造に仕立て上げている技術の賜なわけだし。ただ、不条理劇が不条理として感じられないだろうと思う。

中国時間 12:28 02/09/27

 9月25日(水)

 うーん、時間を奪われることが耐えられない。時間ばかりは後からどうにもならない。まあ、泣き言をいうのはこの際やめよう。
 今日は昼間悪路での移動時間が長かったため、体中が痛くて仕方がなかった。
 で、マッサージへ。10階近くある建物の2階にそこはあるのだが、エレベーターがいつまで経っても来ないので、イライラしていると、開いたドアから中国人の若者達が出てきた。エレベーター内のボタンを見ると地下から10階まですべてのボタンが押されている。仕方なく地下へ行き、それから1階に着いたらまた止まった。奴らだと思った。
 どこの世界にもこういう若者達がいるのだと改めて知った。
 昼間行った田舎町では公道を羊飼いが連れた羊たちが横切る。横切るまでそれを待つ。そんな世界。過去と現在が混同したようなこの場所だからこそ、出てくるものがある。それをいかにも誇らしげに書くことはない。いや、誇らしげというか、特別な世界として書くことはない。日本でも同じような現実はきっとある。

中国時間 0:30 02/09/26

 9月24日(火)

 仕事が終わり、いつものように日本料理屋で食事。
 ここのお店は表にホワイトボードで一押しメニューが書かれているのだが、その中に「ガきフライ」と汚い文字で書かれていたのに、思わず笑ってしまった。

 昨日に引き続き、帰ってじっくりと小説を読む。いわゆる中篇と言われる100枚程度の小説をひたすらに読むことだ。とっつきにくいものも中にはあるが、考えてもみれば、「少年ジャンプ」などと同様いろいろな最新書き下ろし小説が読めるのは文学雑誌以外にない。今まで読まずに置いてあるだけだった文芸誌『文学界』をひたすら読み返す作業が面白くてしょうがない。この調子で帰国後は『新潮』も定期購読しよう。
 『新潮』と言えば、柳美里氏の『石に泳ぐ魚』という小説が、「プライバシーの侵害」を理由に出版の差し押さえ、及び損害賠償の請求という最高裁の判決が出た。そんな小説ならいよいよ読んでみたくなるが、見学に行った「あの最高裁」でこうした判決が出たことは、何とも複雑な思いだ。何しろ読んでみないことにはコメントのしようもないが、そもそもコメントを求められているわけではないし、ここでコメントしてみてもしょうがないわけだが、それでも気になるのはやはり「プライバシーの侵害」を理由にした表現への規制がここに初めて国家の意思として表明されたからだ。

 『プロジェクトX』では中国残留孤児の話題。

中国時間 23:00 02/09/24

 9月23日(月)

 休み明けの月曜日というのが、こんなに憂鬱になったのは久しぶりだ。中国全体が「国慶節」という10月の長期休暇に向け、「さあ、休むか」という意気込みをみせている中、「頑張ら」ないとどうも仕事に向かえないくらいの感じだ。
 というのも、この休日、小説に向けて大きく動き出し始めたというのも、その原因のひとつがあるのではないかと思う。
 まあ、会社のことはここではどうでもいい。
 昨日書いた吉田修一氏は第127回芥川賞受賞作家だった。そのロングインタビューが『文学界』の9月号にあった。今日は、その前の芥川賞受賞作家長嶋有氏の『夜のあぐら』を『文学界』5月号で読む。
 『文学界』を定期購読しておいて本当によかったと思う。
 とにかく、最近の純文学の世界がどんな感じになっているか、眺めておきたかった。

中国時間 22:00 02/09/24

 9月22日(日)

 さて、いざ小説を書こうとしても、どう書いていいものか全く手がかりがなく、途方に暮れる。
 日曜日の朝から途方に暮れる。
 途方に暮れて、一日が終わろうとしたとき、小説を読もうと思った。読んでみなければ始まらない。気づくのが遅かった。読んでリズムを作らなければ、そのリズムが体の中にはないものなのだと改めて知った。
 で、戯曲を書き出した7年前はどうだったか思い起こしてみるが、やはり必死に戯曲を読み、舞台を見て、リズムを作ろうとしていたように思う。それが他人のリズムだとはいえ、いつのまにかこの日記のように自分のものになってしまい、いつのまにか自分の小説が書けるようになっているのではないか。戯曲もまた同じ。
 ただ、そのリズムにもいろいろあることを知り、意識的に変化できるようになったりして、また独特なリズムが生まれたりもするのだと思う。

 とりあえず、今日読んだのは『文学界2002/8月号』の『パーク・ライフ』(吉田修一氏)。この作者、テレビのニュースか何かで見て、「今を描く作家」として記者会見のようなものに答えていたように思う。そのことを思い出した。

中国時間 1:32 02/09/23

 9月21日(土)

 今日は一日休み。
 外に出るのも、人に会うのも億劫である。ただぼんやりとして、小説のことを考えていた。つまり、初めての表現に向けてどう書けばいいのか、それを考えていた。それをあの日の夢とつなぎ合わせて考えてみると、非常に合点がいくというか、ああ、こう書けばいいのかというところが見えてきた。
 いや、構造はそれほど複雑なものではないが、ここを切っ掛けにまず書きながら考えることができそうだと思った。
 まずはひとつの題材に向けて100枚くらいを書いてみよう。
 窓を開けていると寒いくらいになってきた。うっかり寝てしまうと、腹を冷やしたり、咽をやられたりする。
 夕飯は焼き肉を食べに外へ。中秋の名月。きれいな満月だった。

中国時間 1:38 02/09/22