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80年代とポストモダンの気分から

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●昨晩録画しておいたNHK Eテレの『80年代の逆襲 宮沢章夫の戦後ニッポンカルチャー論』を朝から見る。
●「テクノという考え方」「80年代的な笑い」「おたく」この三つの鍵から80年代を読み解いていく。「80年代はスカだったか?」というところからはじまる。
 「軽薄さこそがトーキョー」であり、それが「カワイイ」につながる。少しでも他人と何かが違うという「差異化のゲーム」。笑いもまた脳で考えた「情報」。そして「非身体性」。SEIBUを中心とした商戦もものに「情報」を付けて売り、それが90年代には「ただの皿だ」と気付いて割ったという話には納得した。
 00年代を越え、10年代に残るもの、さらにその先に残るものは何なのか。考えさせられる。

●正直に書けば、わたしは「経済優先のバブルをそのまま良しとしていた軽薄さ」を中心に、あらゆる80年代的なものに嫌悪感を抱いていた。76年生まれの嫉妬かもしれない。ただわたしにハッキリ言えるのは、生きた時代的にも、住んでいた場所的にも「遠い場所での遠い祭り」でしかなかったのだ。少し生まれる時代や場所を間違えれば、そうは見えなかったかもしれない。
 嫌悪していたそれらの文化に寛容になれたのはわたしが00年代に入ってからだ。これはおそらくわたしの自意識と強く関係している。これらの動きが結果的に、日本における一部の「ポストモダン的な思想」の根付きにつながっていると今は思う。

●たとえば、ロラン=バルトやジャック=デリダ、ジャック=ラカン、そしてジル=ドゥルーズなどの扱いもまた、日本でどのように日本語で紹介されてきたかに興味がある。
 たまたま数日前も図を引用することで浅田彰氏の『構造と力』に気付いたくらいで、中身はまだ読んでいないのだけれど、YMOというか、坂本教授との親交からも見えてくる80年代との繋がりだ。
 たとえば、わたしが知っている限りにおいて「ポストモダンの日本への導入」の系譜としては、浅田彰『構造と力』があって、東浩紀氏の『存在論的、郵便的』のデリダ論があり、今その系譜につながる千葉雅也氏の『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』があるだろう。(→これらについてはこちらのブログに詳しくあった
 あるいは、わたしが今読んでいるのはやはりドゥルーズについて解説してくれる國分功一郎氏の『ドゥルーズの哲学原理』。他にもあると思うけれど、今わたしの頭の中でつながっているのは、これくらい。ポストモダンの中でもある種の系譜があるような気がしている。たとえば、メルロ=ポンティや、ハイデガー、レヴィナスなど入れていくとさらにあるだろうけれど、ここではなんとなく入られない気がしている。それは先の80年代とつながるかつながらないかという意味で。
 何しろどれも読んでいないので勘で書いているんだけど、やはりヒントになっているのは西洋近代的なツリー構造思考と離れた「リゾーム(地下茎)」の思考構造にある。

●そもそもわたしは思想界の地図を頭の中に持っているわけではない。専門家ではないので。ただ、地図を持たずに歩いている旅行者の気分でこれを書いていることをご容赦いただきたい。少しでもわたしなりの地図を作りたいという思いはあるのだけれど、積極的にどうしても作らなければならないとも考えてはいない。できるべきときにできるだろうとこれまでのことを考えても思う。

●これだけ書いておいてなんだけれど、フランス現代思想のポストモダンにおけるキーワードから何かを考えるよりは、やはり現実にある事象を具体的に拾い上げて、それがどう社会やコミュニティのなかで作用しているのか、観察したり考えていく方がわたしには圧倒的に面白く、その結果をまた思想に結びつけて考えることだろうなあと最近は感じていて、それで少しだけ心も安らいでいる。
 わたしのミッションはそもそも、思想的な概念を考えることよりも、(むしろそれも興味があるし、考え続けることはあるけれど)それらを演劇的に、戯曲の中でどう使うかでしかないからだ。乱暴な言い方をすれば、正しいかどうかは問題ではない。

●どの年代を考えるにしても、哲学はベースになる。時代を超えて人間を考える上での大いなるヒントになるし、あるいは限定的な時代を考える上でもヒントをくれる。
 誰がどこで何を言ったかを見る。それの組み合わせ。

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