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内田樹

退陣

●民主・鳩山首相が退陣。小沢幹事長も道連れにしたわけだが…。まあ、政治についてはここではあまり触れまい。内田樹師のブログの圧倒的というまでの構造的視点にあらためて敬服。ただほとんどアクセスできない状態になっている。
●こうした構造的視点をあちこちに活かせるような頭になりたいものだ。あらためてレヴィナスも含め、勉強しようと、ここに来て思い始めた。

1000件目の投稿/大連へ

●百の目、千の事象もこのWordpress版になって1000件目の投稿。
 千の事象とはいいつつも、そうした視点で書けたことは少なかったと改めて反省。特にここ数年、東京を離れてからはまったく駄目だった。
●歩く会の師匠・N藤さんからのメールがあった。メールがあったのは昨日のことだが、気付いたのは今日のことだ。
 そして先週末わたしはN藤さんについて妻と話をしていた。内田百聞(本当は「門に月」)、内田樹氏のこと、今のわたしに多大な影響を与えてくれていることを改めて考えていた。
 そんな話をしていて、手紙を出そうということになっていたところで、メールだ。迷惑メールフィルタにはかからなかった。まずは返事を出そう。しかし、返事を出す前にこうして書かずにいられなかったのは、その妙なシンクロニシティ(共時性)を感じたからだ。
●そして、真冬、春節前の大連に来た。
●中国国際航空でのフライト。隣に座った中国人の初老の男に話しかけられる。役人だと名乗る彼が何を言いたいのか今ひとつはっきりわからなかったが、1977年生まれの息子が東京大学を卒業し、日本で働いているということ、来週の月曜日に開発区に行くということ。日本の管理手法、政治について話をしていた。彼は「日本はいい」とずっと言っていたが、隣の芝生だろう。たくさん勉強しなさいと諭される。わたしが『下流志向』を読んでいたからかもしれない。そのタイトルだけをみて心配になったのかもしれない。

冬に来る

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●朝も四時半に起床し、なかなか頭が回転せぬまま、疲れた身体を引きずって、15kgのトランクと一緒に電車に乗り込み、ウトウトしながら移動。上野から歩いて京成上野に移動し、スカイライナー1号で成田空港第二ビルを目指す。
 いつも8号車の喫煙席にしていたが、だいたい寝不足のときは煙草を吸いたくないのに、喫煙席に座ったからという理由だけで喫煙してしまうので、敢えて今回は禁煙席の3号車。
 成田ではそこそこに人は多かったが、Webチェックイン完了済みということで、すぐに終わる。二階の本屋で、内田樹氏の日本辺境論 (新潮新書)を購入。
●飛行機の中では香港映画『保持通話』を見る。『セルラー』のリメイク版ということだが、ちょっと見始めたら止まらなくなってしまった。結局、全部見る。
●そんなわけで、またしても、大連に来たわけだが、到着するなり、雪に見舞われる。天気はそれほど悪くないのだが、雪がばっちり降っている。
●朝も早かったせいか、力が出ない。外は想像以上に寒い。ダウンジャケットとヒートテックを持ってきて良かった。

時が過ぎる

●レヴィ=ストロースが亡くなったというのはYahooなどのニュースでは見かけないので、内田樹先生のBlogで知る。いわずとしれた構造主義者の第一人者でもあるが、すでに歴史的人物のような存在のようではあったものの、改めて亡くなったのだということを知ると、「またひとつの時代が終わっていく」と何だか感慨深いものがある。
●さて、そんなふうに大きな時代が終わっていくように、小さな年もまた終わっていく。そんなわけで、2009年も残す2ヶ月あるわけだが、手帳を変える。正確には手帳の中のリフィルを変える。スケジュールで使うのは月間のカレンダーのみ。あとは無地のノートと罫線のノート、あとは方眼のノートをただ挟んだだけだ。今年はこれで行きたい。あとそれを手帳から外に出す際にまとめられるバインダーも購入。Amazonから届く。
●今日もまだまだ寒いので、炬燵を出す。明日はまた暖かくなるようだが、とにかく炬燵は出した。これですっかり冬モードである。そうしてまた一つの季節が終わる。

左がわ

●ここ数週間のことだと思うのだけれど、左がわから振り返れなくなっている。右からの振り向きは可能なのに、左からの振り向きがまったく駄目だ。しばらくは寝違えたりしたのかとも思っていたが、昨日の按摩でも一時的に良くなったと思っても、またすぐに駄目になるし、もうちょっと根本的な何かがおかしくなっているのではないかと思い始めてきた。しかし、あまり原因として思い当たる節がない。
●さらに今日は労働争議的な話もあって、頭が痛い。基本的には労働法で定められたとおりに行うばかりであるが、勝手な解釈をしての言いがかり的なものも中にはあるので、それを正すのに労力を使う。
●往々にして、中国でも日本でも、「自分の仕事はここまで」という発想がある。これについて、2008年12月20日の内田樹先生のBlogにはこう書かれている。

「仕事」には「私の仕事」と「あなたの仕事」のほかに「誰の仕事でもない仕事」というものがある。そして、「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考え方をする人のことを「働くモチベーションがある人」と呼ぶのである。
道ばたに空き缶が落ちている。
誰が捨てたかしらないけれど、これを拾って、自前のゴミ袋に入れて、「缶・びんのゴミの日」に出すのは「この空き缶を見つけた私の仕事である」というふうに自然に考えることのできる人間のことを「働くモチベーションのある人」と呼ぶ。
別に私は道徳訓話をしているのではない。
私が知る限り、「仕事のできる人」というのは、例外なく全員「そういう人」だからである。
ビジネスの現場において、「私の仕事」と「あなたの仕事」の隙間に「誰の仕事でもない仕事」が発生する。
これは「誰の仕事でもない」わけであるから、もちろん私がそれをニグレクトしても、誰からも責任を問われることはない。
しかし、現にそこに「誰かがやらないと片付かない仕事」が発生した。
誰もそれを片付けなければ、それは片付かない。
そのまましだいに増殖し、周囲を浸食し、やがてシステム全体を脅かすような災厄の芽となる。
災厄は「芽のうちに摘んでおく」方が巨大化してから対処するよりずっと手間がかからない。
共同体における相互支援というのは要するに「おせっかい」ということである。
最初に「災厄の芽」をみつけてしまった人間がそれを片付ける。
誰もが「自分の仕事」だと思わない仕事は「自分の仕事」であるというのが「労働」の基本ルールである。
たぶん私の言葉は現代日本人の多くには理解できないだろう。
労働者の多くと左派知識人は「できるだけ自分の仕事を軽減することが労働者の権利である」という硬直した思考にしがみついている。
私は実際にそう公言した人間を(大学の教師の中で)たくさん出会った。
彼らはこんなふうに考えていた。
自分は「収奪された労働者」であるから、「労働者を収奪するシステムがクラッシュしても、それは労働者の責任ではない。むしろ、労働者を収奪するシステムの瓦解を加速するという仕方で、私は革命的に行動しているとさえ言えるのである」
そんなロジックで彼ら彼女らは自身の怠業を正当化していた。

●確かにわたしもややもすると左がわの考え方で、「できるだけ自分の仕事を軽減することが労働者の権利である」というふうに考え、会社として彼らの仕事を軽減しようとも考えてしまいがちだ。しかし、そうではないのかもしれない。常識的にそこに発生した問題に気付いたところで取りかかるということは、必要最低限のことなのだと、そう考えるべきだと、改めて考え直すのだった。

『死と身体』

●『死と身体—コミュニケーションの磁場 (シリーズケアをひらく)』という内田樹氏の本を読み始める。
 河合隼雄先生が亡くなった今、わたしにとっては内田先生との出会いは新たな大きな一歩である。N氏から勧められていた『寝ながら学べる構造主義』もまた内田先生の本だったが、個人的には内田先生がレヴィナスを師匠と仰いでいるところに運命的なものを感じた。そして、何より言葉がすんなり入る。
 この本の第四章『わからないままそこに居る 身体と倫理』は非常に示唆的なタイトルだ。
 ここから、また思考的にも次の一歩を踏み出せるような気がする。

働くことに疲れたら

●内田樹(たつる)氏の言葉は非常にわかりやすく届いてくる。
 『疲れすぎて眠れぬ夜のために』のなかの「働くことに疲れたら」の章は、今、まさに読み応えのある内容だった。
●レイバーとビジネスの違いを説明し、ビジネスの面白さはお金儲けではなく、何か新しいことをするとその結果がすぐに出る、その「反応の速さ」にあるのだと説く。だからこそ、自分の取れる「責任」と「リスク」は次第に大きくなることで、その反応に対する手応えをさらに大きく実感できることが、つまり上に立つということではないか。
 レイバーとは、やることが決まっていてマニュアルの中で、ただこなしていくだけの仕事。リスクも責任もなく、仕事に対しては給料しかない。わたしのバイト時代はまさしく、レイバーだった。
 不祥事を起こした企業の社長や政治家、いじめを隠す学校の校長など、上に立つものが責任をできるかぎり、先延ばししようと別のところに非を探す。そんなところに未来はない。
●それを踏まえて、「勝ち組・負け組」などという「さもしい言葉」を使う世界ではなく、自分たちが作ったものに対して、正当な対価を得ること、その上によろこびも合わせてもらえるかどうかという世界に自分たちがどうやって関わっていけるか、そういう社会、あるいはその手前にある会社をどうやって培っていけるか。
 そういう世界で、周りもやっているからと横しか見ないくだらない社会にわたしはまったく興味がない。相手にしている時間が無駄だ。

ためらいの倫理学

●Amazonで注文した『ためらいの倫理学—戦争・性・物語“>』が到着。
 気付けば、ここ最近は内田樹(たつる)氏の本が増えている。
 誰か気になる作家や思想家がいて、それを追いかけて本を買うということは今まで多かったが、いつのまにかこの人の本が増えていたという現象は初めてのことだ。
●短い文章が続くので、気になったタイトルから読む。
 「分かりにくく書くこと」の愉悦について
●なんて興味深いタイトルだろう。
 言わばポストモダニズム的論文を合理的・実存的視点から指摘した問題点を参照しながら、実際のところ、「自分が何を言っているのかわかっていないときに、変に面白いことを言い出す人がいる」とか、「不明瞭なものがすべて深遠であるわけではないが、不明瞭である上に深遠でもある思想というのは確かに存在する」とかいうことが書かれており、人間のデタラメさをどれだけ受容できるかというのは、人間のスケールの問題だということにも共感できる。
●ストレスの溜まる仕事の毎日だが、こうしたものに触れ、また舞台のことを考え、あるいはここに関わってくれた役者達・スタッフの人びとのことを思い出すと、まだやり残したこと、やらなければならないことが山ほどあるから、生きていかなければと思うのだ。

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