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百の目、千の事象

村社会から顔社会へ

●世の中のつながりって、やっぱり大事だし、迷惑を掛けたり、掛けられたりっていうのももっと当たり前にあっていいことのような気がしている。
●たとえば、ちょっと困っていそうな人がいたら声を掛ける。あたりまえのことがどうもできにくい社会になっていないか。人付き合いってたしかに面倒だけれど、なかなかいいものだ。とお坊さんの話を聴いていて思った。

●「自己責任」という言葉が流行し当たり前のように使われはじめたころからか、制度化など、国や組織の制度に依存していく構造が透けて見えてきていた。すべてシステムの問題へのすり替え。わたしはわたしの範囲で責任をまっとうしているという無言の態度。そこには人間が生きる上で絶対的に必要な何かを排除してしまっている気がする。
 決断をしたことに責任を問われるから、決めない。決断できない。そうやってさらに失敗を恐れる体質ができあがっている。失敗を恐れ、自分の責任をいかに逃れるかが最優先の社会になっていないか。
 そうならないような社会、組織はどうやったらできるだろうか。
●わたしはかつて、日本の「ムラ社会」の気持ち悪さとずっと戦ってきたような気がするが、地方・周縁の文化を考えると、どうしたってそことの共存は必要だということも考えなければならない。
 Twitterから学んだのも、おのずと「悪いもの」「ひどいもの」への反応は次第に「裁き」へと変わっていくということだ。
 逆に言えば、「お天道様は見ている」というときの「お天道様=世間の目=村社会」であり、「村八分」(誰からも相手にされない)裁きの方がよほど法律の裁きより厳しいことか。それがいいことか悪いことかはともかく、日本的であることは間違いない。そして、マスコミは結局それを操作する方法を持ったことで、権力を持っているだけだとも言える。
 しかし、それがネットコミュニケーションによって大きく崩れ、確実に変化した。

●わたしが「見学者」という名前を付けた理由についてもあらためて考えていた。これについてはどこかでまとめて書こう。ひとつにはさきの顔の見えない目のこともある。
 そういういみでの「顔」は重要な問題だ。そして顔はレヴィナスのテーマでもある。さらにFacebookのことも同時に考える。同じネットでもなぜブログやTwitterでは顔が出せないのに、Facebookでは出せるのか。「顔」はまさに倫理そのものだ。

●まだぜんぜんまとまらないが…、ここから考える。生き方について。実生活を楽しいものとまでは言わないまでも、せめて息苦しいものにしないための方法や考え方について。

館林ジャンクション-中央関東の現代美術-を見る

●前から気になっていた展示。
●世の中的にはゴールデンウィークとも言われているが、他人様のことをうらやんでもしょうがない。休みの予定も特別なかったので、館林美術館に早速行ってみる。
●一番に見たいのはインスタレーション。舞台美術のイメージを掻き立てられるようなインスタレーションがあるとわくわくしてしょうがない。あるいは、そこに人が立つ姿がイメージできたり、物語が立ち上がってくるような風景にはワクワクさせられる。
 今回もいくつかのインスタレーションがあり、いろいろと感じることも多かった。
 単純にどうやって作っているんだろうと考えることも多かった。
●あと抽象画からもいくつかインスピレーションをうけたし、美術としての政治的アクションのあるものに感銘を受けたりもした。
●そして、これらの作品がすべてこの近郊に住む人たちによって作られていることの面白さだ。
 関東地方の地理的な中央という意味でつけたであろうこのタイトル「中央関東」と呼ぶのがふさわしいかどうかはわからないけれど、この地が群馬(館林・太田)・埼玉(熊谷、行田など)・栃木(足利・小山)・茨木(古河)がそれぞれに近接し合っていて、だからこそ現れるであろう面白さを探していこうという視座を獲られたのはよかった。しかし、むしろそれは中央(トーキョー)ではない周縁だからこそのものだろう。そのことにまずもっと自覚的であろうと思えた。
●この土地の古い歴史や伝記、言い伝え、あるいは近過去での事故や事件。企業による公害など。さまざまある。
 そこを掘り起こして、また新しい希望の物語を作ることはある意味では文化の使命だ。

●帰りに館林美術館の外の芝生で息子の散歩。外で初めて歩く。喜んでた、ずいぶん。文化や芸術もまた、経済同様、生活の上に。

生命力

●通勤中の風景がやけに生命力を持っている。雑草や植え込み、田んぼの新緑。街路樹の白やピンクのハナミズキ。今までなら余り気に掛けない光景だが、雨の中、やけに生命の力を感じたのも不思議な話だ。目に見えるものがすべて生き生きしていた。

帰国/『月の光』を読む

●順調だと思っていた帰国も、いつのまにかそれほど順調ではなかったようで、いつもより30分以上到着が遅くなった。
 そもそも大連空港でチェックイン手続きも出国審査もかなり時間が掛かったのだし、出発時刻の30分前から機内搭乗がはじまったがそこでもしばらく並んでいた。手際が悪かったな。中国国際航空。あと赤子が数人いたが、やはりそこに対するサポートもかなりあまい。ANAとの共同運航便なのだから、少しは…。
●そんな移動中はピンターの『月の光』を読む。これは政治劇ではなく、死に向かうある家族に嫌われた父親の意識を描いたもののように読めるが、あるいは家族の歴史というか複雑な関係性もあり決して説明的ではない。
●これで『ハロルド・ピンター (2) 景気づけに一杯/山の言葉 ほか』(ハヤカワ演劇文庫 24)を読み終えたことになる。何度でも読みたい戯曲集。文庫になってくれているのも嬉しい。
●あとは前も考えたままやっていないけれど、本当に好きな作品(単行本の全集にしか入っていない『沈黙』など)は、テキストを文字うちして電子化しておこう。自分でいつでも読めるように。あと書き写すことで自分のものになるものがある。
●今日も『月の光』からベルというその下品でどうしようもない父親の妻の台詞を引用しておこう。

ベル あら、ほんとに小さい子供には死がわかってると思うわ、子供にはわたしたちよりも死がよく分かってるのよ。私たちは死を忘れてしまった、でも子供はそうじゃない。子供は死を覚えてるのよ。だって、子供によっては、そう、本当に幼い子供は、自分の生涯が始まった前のことを覚えてるのよ ——それはそれほど昔のことじゃないでしょう、子供にとっては—— そして子供の生涯が始まる前は、子供はもちろん死んでたのよ。

帰国準備と値上げ

●帰国のことを考えると、毎度のことながらそわそわしちゃってダメだ。
●いくつかやるべきことがあって、そのほとんどは終わったのでだいぶスッキリ。ただ、全体的にはまだやらなければならない仕事も多くある。
●ピンターの戯曲は最後の一本を残してあるので、それは明日の移動時間に読むとして、あとは忘れ物がないように、しっかりと帰る準備をしよう。

●忘れないようにメモしておくならば、今月からタクシーが事実上の値上げになってる。10元でいけるところも1元プラス。空港から来るときもおよそ10%プラスを要求された。
●飲食店は値段を上げないで、食材の量を減らすか質を落とすかしているか、あるいははっきりと値上げしているところもあるようだ。
●その点、通常の食材などの値段が上がっているから、このあたりの記事「やはりホンモノだった中国のインフレ」を読まずとも、思いっきりインフレなのはわかっている。
 インフレ時の戦略を見誤ってしまうと、ただただ固定費ばかりが増える。
●日本も今後デフレスパイラルからインフレに転換されていくことは間違いないと思う。その際に、どこに軸足を持っているか、かなり大事なポイントだ。

『山の言葉』などを読む

●昨日から読んでいたのは、ピンター『山の言葉』、『新世界秩序』。
 いずれも直接的で暴力的な風景が描かれた政治劇。『山の言葉』はある牢獄でクルド人の言葉を語らせないように暴力で徹底して抑圧したトルコ人の風景を元に描かれているが、同様の風景はきっと第二次世界大戦時期いずれの被支配国でもあったろう。残念ながら、わたしがいまいるこの国においても。だからこそ胸が痛い。
 いずれも政治劇であるが、結構新しい。『新世界秩序』はブッシュ政権下の湾岸戦争から着想を得たものらしく、民主主義という「正義」のためにふるわれる暴力を、あるいはその暴力に向かう矛盾を抱えた兵士の姿を短く丁寧に書いているとも言える。そして、役者にとっては極めて演じ甲斐のある複雑なシチュエーション。
●『パーティの時間』は91年にイギリスで初演されているらしい。
 このパーティ、ある一部の権力を持った層によって開かれている。行方不明のある女性の弟についてまったく語られず進む。外では何らかの異変が起きている。死や暴力のにおいがプンプンする。
 しかし、わたし的には戯曲の内容よりも、パーティを舞台の形でどう表出させるかということのほうに興味がいった。断続的に流れるパーティの音楽。少しだけ開いているドア。照明の切替でパーティの会話グループが変わる。最後の照明と登場人物たちのシルエット。演出のしがいがある戯曲だと思う。
 戯曲的には一部会話から詩的なモノローグにスライドしていく部分があり、手法としてわたしも使わせていただいているのだけれど、かなり勉強になる。詩だからね、訳者も力も必要だよなあ。詩作をしなければ。言葉の感覚を呼び戻す。アナロジー。メタファー。

ビジョンとアクション

●7年先までkengakusha.comのドメインを使えるように契約更新。以前がいつの更新だったか忘れたが、忘れないうちにやっておこうという。
●10年先のビジョンと具体的なアクションを決めなければいけないと改めて考えている。仕事の方も見学者の方もだ。待っていても誰も決めてはくれないのだし、自分で決められるだけの材料は揃いつつあるのだが、決定打が足りない。しかし、決定打を待っていては、いつまでも揃わない。
●そうやって、考えることはあるが、なかなか前に進まない状況が続いている。
●しかし、そうした状況は人との対話によって開けてくることがあったりする。
●今日も人と話をしながら、改めて考えを整理する。ただ目の前のことを片付けるだけでは見えてこないものを何とか見ようとしている。

『ヴィクトリア駅』『景気づけに一杯』を読む

●昨晩から今朝にかけては本当によく寝た。鼻水はまだ完全に止まったわけではないけれど、それでもだいぶ楽になっている。
 遅めの朝食と雨なのでデパート内を散策しようと、スタバへ。
 いろいろとネットで調べているうちにあっという間に時間は過ぎる。12VPN+Macも数多くあるアクセスポイントのうちTOKYOはなぜはつながる。そこを通すことでいろいろ可能になった。

●午後からは雨も上がった。長く続いた雨で道は決して良くないが、せっかく傘なしで歩けるので街を歩く。

●夜、今日はピンターの『ヴィクトリア駅』を読む。タクシー運転手とその司令係の無線のやりとりだから、ラジオドラマのような形だが、あとがきの訳者解説によれば、『いわばアラスカ』とともに三編の短編を並べて『別の場所』というタイトルで上演されているらしい。
 この短編の連続上演という形は、いわば、ラジカルやシティーボーイズのコントのようなものを想像する。
●もう一つ『景気づけに一杯』も合わせて読んだが、これはとてもコントとは言えない。いわばピンターの政治劇の第一歩とも言われているが、狂気の沙汰だ。ある時期のトルコのことではなく、きわめて恐ろしい風景がここにはある。

●あらためて書くことを考える。何が書けるか。書けるものから。

雨に弱い町/『いわばアラスカ』を読む

●ふだんからもともと雨が降らない町ではある。だからこそ一日雨が降るなどということになると、もう道がダメだ。水浸し。よく考えてみれば、側溝がない。ましてやコンクリも極めて水はけが悪いタイプのものだ。とにかく水がうまく流れるしくみがない。
●そんなわけで、今日はほとんど外に出ず、テレビをダラダラ見て過ごし、ときどき気が向いては本を読んだり、iPhone3G+中国移動+VPNでTwitterを覗いたりという。
●で、今日はピンターの戯曲集から『いわばアラスカ』を読んだ。
 何度も味わえる作品。
 数十年間眠り続けていた女と、その女を起こした男の話だ。
●いやそもそも話などなく、その状況があるだけで、次第に見えてくる関係性がミステリーとも考えられなくもないが、むしろ、二人の目が合って、最初の言葉が出るまでの細かなト書きがいい。
●動きは極めて少ない戯曲だが、わたしが今書こうとしているのもまさにこのタイプだ。
 というか、日本(というか、日本語を話す日本人)に設定を置き換えて、翻訳をなおして上演したいくらいだ。

不安定な環境

●VPN環境には12VPNというところを使っていた。年間での支払いが済んでいてあと3ヶ月使えるはずだったのに…。先月あたりからちょっとおかしかったのは確かだったんだ。でも、Macでは使えたし、それでFacebookもTwitterも日本と同じ環境で使えたのに…。むー。
●12VPNがよかったのは、Mac,iPhone4,iPhone3Gと全部それぞれで使えたこと。でも、iPhone4がダメになり、今回は全滅。
●そこで先月無料で試していたiPhoneAppのHotspot ShieldというVPNをとりあえず1ヶ月購入。85円という安さも気に入ったし、二台のiPhoneで使えるのもいい。
●が、これもiPhone3GではOKだけれど、iPhone4ではサーバーに繋がらなかったり、Macではそもそも受信はできてもツイ送信ができなかったり、よく解らない状況。
 とにかく不安定なので、まあ、しばらく様子を見るけれど、困っている。
●唯一の救いが、iPhone3G+Hotspot Shieldという最も弱い組み合わせなのが泣ける。

遅れて到着/大連へ

●今日の飛行機は到着が遅れて1時間半遅れの出発。
●いつもは勤務時間内の会社の運転手に迎えに来てもらうのだけれど、大幅に遅れているのでタクシーで直帰。タクシーでいくら取られるか不安だったけれど、90元。メーター+20元をどうしてももらいたいということだった。今回は珍しく若いドライバーで、礼儀もしっかりしていて、申し訳なさが態度にあらわれていたし、OKする。
●しかし、まとまって移動日が何度もあるとさすがに疲れる。本を読む気にもなれなかったな。
●今回もせっかくなのでこもってテキストを書きたいけれど、どこまでできるだろうか。

出国に向けて

●いつもの倍くらい時間が掛かっているのは、やはり一人だからだろうか。
●諸々の準備や片付けなどを行っていたらもう1時を回っている。
●ただ、時間は掛かったけどとりあえずやるべきことは終えましたよ。

プロスペクト理論と感応度逓減

●ちょっと仕事で調べものをしていたときに、以前ちょっと聞きかじった確実に10万円もらえるのと50%の確率で10万円か0円になるというやつ、あれ、なんだったっけなあと調べたくて、「損 得 確率」で調べたら、出てきましたよ。
 プロスペクト理論。
問1 10万円確実にもらえるか、コインで裏表の結果(50%の確率)で20万円もらえるか0円か。どちらを選ぶか?
問2 20万円の借金が10万円確実に帳消しになるか、コインで裏表の結果(50%の確率)で20万円免除になるかまったく帳消しにならないか。どちらを選ぶか?
はたらく人のための意志決定論に詳細は書いてあるが、結果的にはリスク回避が優先されて、問1ならもらえないというリスクを避けて確実に10万をもらう人の方が多く、問2なら帳消しにならないリスクを避けようと10万を確実に帳消しにしたがる傾向があるという話。確率論で言えば、それぞれの問いで並べられた条件は同じはずなのにだ。
●まあ、この話を調べたかったのは、結局、問題を先送りすることの被害の大きさと、お金が多少かかっても問題が解決できる可能性をどう比較するか考えたかったからだ。

●そして、これについて調べていると感応度逓減(かんのうどていげん)という別の視点も発見。
 だからこそ、大きい買い物は注意が必要。

●夜はある会合に参加。

人口推移

●人口推移について調べはじめたのは、これからの日本での経営環境を市場モデルも含めて、もう一度考えておく必要があったのと自社の雇用状況を年齢構成に合わせてグラフ化したかったからだが、しらべているうちに楽しくなってしょうがなくなった。
●たとえば、1966年(S41年)うまれの丙午がスポットで減っているのは知っていたが、統計局のデータを見ると本当にガクンと減っているので吃驚する。
●まあ、それよりも問題は2050年の日本の総人口、さらにいえば2100年。むすこが89歳になったときの日本の人口だ。人口中位推計で4,771万人。(うち40.6%が高齢)つまり生産に寄与できる人口は1,937万人と江戸時代中期の水準。
参考サイト:「2050年には日本の総人口は3,000万人も減少、高齢化そして極めて急激な人口減少社会を迎える日本ー『ビジネス2.0』の視点
●そこから考えるべきは、本当に成長戦略か。仕事の在り方、人間の生き方。自然との共存の仕方。人口が増える発展途上国と呼ばれる諸外国との付き合い方もどんどん変わっていく。
●毎年未体験の新しい年が来ている。1,000年単位で考えることで、この近年の変化が極めて特異であることを考えさせられる。
 自分の孫の世代。ひ孫の世代が幸せであればと改めて考える。
●同時に人口が減少していく国の言葉で何かを書くことの意味も。

一人で戻る

●明日から仕事なので家族をおいてわたし一人で群馬に帰る。しかし一人の移動は長いな。
●成田空港の行き帰りが毎月あるとは言え、福岡の家からおよそ6時間半。帰りは特急も間に合わなかったので余計時間がかかったわけだけれど、それにしてもだ。
●時間を持て余すので、これも移動中の電車の中で書いている。

●葬儀の最中、むすこが泣いたり、大のほうで香ばしいにおいを出したりしてくれたので、中座して気分転換させたり、オムツ替えをしたり。
●あらためて、妻の家族をいい家族だなあと思えた数日だった。

お通夜

●兄弟が12人いたというおおばあちゃんのお通夜の席には多くの親戚が顔を出してくれたし、今日もむすこはみんなのアイドルだったが、大きく生活リズムがくずれて大泣きになる。
●疲れ果ててこの日記もかけずに寝てしまった。

福岡へ

●昨日決まった通り、急遽福岡に来た。
●移動中はむすこの愛想が良くて知らないオバさんとすぐ仲良くなる。本当に宝だ。
●故人のことを考えながら、またおおばあちゃんを中心とした家族のことを考えつつ、その大きな流れのなかでまた自分も生きているし、生かされているのだと思う。

必ずまた

●妻の実家(福岡)のお婆ちゃんが亡くなった。90歳の誕生日を迎えたばかりだが、大往生だったようだ。

●去年の今頃、里帰り出産から群馬に戻ってくるときには、ひ孫がいなくなってしまったのでさみしい思いをさせてしまったんだろうなあ。まだそのときは本当に元気だった。
●最後にわたしたち家族が会ったのは、今年のお正月。もうすっかり寝たきりになってしまっていたが、まったくぼけていないし、会話もスムーズだった。少しばかり成長したひ孫を見せに帰れたのは良かった。
 そのとき、わたしだけ先に群馬に戻ってくるので、最後に二人きりで挨拶をしたとき、「必ずまた会いましょうね」と約束をして握手した。お婆ちゃんはニッコリしながら涙を流していた。

●自分の両祖父母はすでに亡くしてから久しいので、福岡に帰省する度に昔の話を聞けたりしたのは楽しかった。もっと話を聴けたのかもしれない。

快調/断片

●朝は昨日に引き続き不調だったわけだけれど、午後、ニラレバを食べてから何だか頭が急に回り始めて、仕事も進む。まあ、来客が頻繁にあったために完全に終わらせるというところまではいかなかったものの、それでもだいぶ考えも進んだ。
●あと、何よりよかったのは午前中のわずかな時間(朝)に少し戯曲について考える時間を作れたことだ。
●戯曲を本格的に書き始めるのではなく、ちょっとしたスケッチ。テキスト。

●たとえば、以前、飛行機の中で見たファッションショーの映像。会場はかなり広くて、円上の舞台中央で二人のモデルがすれ違っていた。そのときに何か会話を交わせないか。たとえば、それは伝言ゲームのようなものかもしれないが、もちろん主役は衣装というかファッションだから、コンセプチュアルなファッションなら、それに合わせた台詞を考えるのも面白い。

●あとはとにかくちょっと気になるシチュエーションは以前から思いつくたびに手帳にメモしている。あるいは単語からでも、書けることもあるだろう。
●今日などはたった3行書いただけで頭がクリアになった。

●とにかく断片を書こう。あちこちから。スイッチが一旦入るとグングン楽しくなる。そして、結果的に仕事もうまくいく。

調子

●なんだろうなあ。どうも調子が出ない。まあ、そんなものは最初から出てないのはわかっているんだけれど、出ないなら出ないなりに、淡々と仕事をしていければいいんだけど、問題を問題として捉えて騒がなければいけないところはやっぱり騒がなければならない。わたしが騒がなかったら問題にならないまま、スルーされてしまうことも多々あるのだ。
●だから、淡々としたいのだけれど、グワーっといっきにエネルギーを使わなければならない。
●あと、短いスケッチがまだルーティンにならない。この日記はつづいてるけど、これも本来はいわゆる慣らし運転みたいなものにしておきたいんだけど。
●これ書き終わるといっきにスイッチ切れちゃうんだよなあ。あと慣らし運転になってないというのもある。こんな気軽に言葉を出せない。
●井戸掘り作業が必要なんだろうなあ。だから、余計に眠くなる。
 そうか、眠いのはそれのせいか…。

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 見学者の演出担当であり、妻でもある。
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 都内を中心に歩く会。

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