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2008-05

通称トリのマーク『マチルドハイタワー』を観る

●午前中はのんびり眠って、かなり遅めの朝飯も食べて、熊谷から電車に乗って新宿へ。この湘南新宿ラインの車中が異常に寒かった。ただでさえ、今日は雨も降っていて3月下旬の寒さだというのに、冷房がガンガン効いていて、眠ったら死ぬんじゃないかと思うくらいだった。
 まあ、そんななか、ネットワーク構築の趙入門本を読み、もろもろ一時間半くらいで最終目的地の下北沢に到着。
トリのマーク(通称)の演劇公演マチルドハイタワーを観る。藤田さんも二度目の出演。
 前にも書いたかもしれないけれど、やはり「時間を楽しめる数少ない舞台」を上演している劇団だと思う。今回の作品は1時間くらいだったが、ややもすると詰め込みすぎるわたしの癖をちょっと反省させられた。やっぱりわたしもいろんな意味で余裕とか余白とか、「余」が欲しい。そんなことを思いつつ、帰りは久しぶりの下北で数冊の本を購入し、新宿ではちょっと気になるDVDを購入。これはまた映像作品を作るにあたってかなり参考になるんじゃないかと、店頭のモニタに映された内容からインスパイアされて、衝動買いしてしまった。
●で、帰りの電車ではネットワーク構築の趙入門本を読了。
 やっぱり詰め込みすぎてしまう。手を広げすぎ何だろうなあ。まあ、35まではこのくらい手を広げてガンガンやっていこうと思う。そのあと、絞っていけばね、それでいい。

何が壊れたのか

●いよいよ仕事でWebを作ることになった。
●ついては、WordPressももっと使いこなせるようにならなければならないわけだが、ちょっといろいろな方面に手を広げすぎていて、時間が経つと忘れているから厄介だ。まあ、勝負は6月後半ということになるのだけれど、このサイトも含めてもう少しいろいろやってみよう。
 日本語サイトも充実してきたし。
●あと、最近は「壊れた」と言われている会社内にあるパソコンの数々が集まってくるので、それぞれ筐体をばらして主にハードディスクの修復などを。
●まあ、人間のあれこれの言い訳やらを調整したりするのもしんどくなってきたしなあ。

引き続き中国語

“●中国語の学習は、日々それなりに続けているが、「聞き取りはある程度できても、なかなか話ができない」という状況は今以て変わらない。
 これはあきらかにアウトプットしようとする能力が落ちているからだと思われる。ある程度の語法や慣用句などは、丸暗記するしかないものの、簡単な言葉で自分の言いたいことを伝えるためには、まず、日本語で考えていることを置き換える訓練をしなければ、いつまで経っても長い話はできないままだ。
 昨日もたまたま中国語での通訳を頼まれたものの、説教じみた話になるとやはり難しい。
 たとえば、「これからあなたが変わっていくためには、決められた規律をしっかり守り、それを持続させることだ」ということを伝えるのに、非常に苦労した。遠回しの小学生レベルの言葉に置き換えるため、「あなたには変化が必要だ。決まり。日本でのルール。(「持続させる」という自動詞がおもいつかず)必要。」それくらいになってしまう。それでは、やはり聞いている方にも気迫が伝わらないのではないか。なので、いつのまにか、話が少しずれてしまうし、それらしい別の話をして意図を伝えるしかない。
●だからこそ、まずは自分で話をしたいことをしっかりと母国語で考え、さらにそれを頻繁に変換しようと試みることが大事だ。そこが学習の中で間違えだったと気付いても、その気付くことこそが本来の意味での学習である。

『資本主義を語る』

●仕事の関係で久しぶりに東京に出る。池袋駅でちょっと迷う。有楽町線で市ヶ谷へ。さらに歩いて靖国近くでまた迷う。なんだか、東京の感覚がわからなくなってきた。
●帰りに資本主義を語る (ちくま学芸文庫)をじっくり読んでいたが、なんというか、見える世界が少し広がる感覚が心地よい。
●資本主義の構造そのものを読み解いた先に、やらなければならないことがある。

906

●Docomoの906シリーズがまもなく発売されるようだけれど、ここはあまり買い時ではないと思う。
 敢えて、ここで905を買おうと思った。

TASPO

TASPOが届いた。意外と面倒な手続き後、しばらくして10日間くらいして自宅に届いた。
●一応、このカードは貸与ということになっているらしい。
 でも、わたしがこのカードをしばらくは使わないと思う。なぜなら、毎月、空港の免税店で購入しているからだ。
 喫煙者にとってはますます厳しい社会になっているが、まだまだ吸うよ。

映画『アフタースクール』を観る

●内田けんじ監督の『アフタースクール』を近くのワーナー・マイカル・シネマズに観に行く。作品の内容については触れられない部分が多いので、サイトを観てもらったほうがいいとして、こういういわゆる地方のシネコン的なところはものすごく久しぶり。劇場も100人ちょっとのサイズで個人的にはちょうどいいと思う。
 とにかくどんなサイズの劇場だろうと、映画でも舞台でもやはり劇場に足を運ぶというのが大事だと思った。やっぱりいい。何でもいいからたくさん数を観ようと思った。観ることがまた撮りたいという刺激にそのままつながる。そして、そちらが充実すると不思議と仕事も捗るというそういう目論見にしたい。おそらくはあっという間に過ぎるであろう30代をどう過ごすかに大きく関わってくる問題。

Macbookハードディスクを増強

●MacBookを購入した際、Fujitsu製の120GBに自分で換装していたのだけれど、ここにきて仕事でも海外出張やらでデータを丸々持ち運んだりするケースも多くなり、何かと不足になった。で、ネットで購入していた320GBに再換装することにした。
●というわけで、ヤマダ電機にいって、SATAからUSB(本当はFirewireがよかったんだけどなかった)に変換、接続するケーブルを購入し、それを繋げて、フォーマット。それからカーボンコピークローナーなるソフトを使って、OS毎丸々データを移設。
●あとはMacBookに入れ替えて、終了。
●ParallelsDesktopでのWindowsハードディスクも思い切って8GBから30GBまで割り当て直す。

とりとめなし

●久しぶりに声を荒げてしまった。駄目ですね。睡眠不足の模様。眠いのに眠れない。そんなわけでとりとめもなく。
●ここ最近は、過労と鬱病のニュースが多い。
●日本の携帯はいつまで鎖国しているのだろう。SIMカードを差し替えて、本当の意味でグローバルに使えればいいのに。906になっても駄目なんだろうなあ。

対症療法と原因療法

●いっぱいいっぱいになったときには、自己防衛本能が働いて、どうやら一旦停止しようとするようだ。ここのところ夜は常に一旦停止状態。何もする気が起きない。ただ、気になっていた言葉があって、それをWikiPediaから引用。

 例えば、腫瘍による痛みがある患者に対し、腫瘍を手術や薬剤により制御しようとする治療が原因療法である。一方、薬物やレーザーなどで痛みを制御する治療が対症療法である。 他にも、風邪をひいた時の、咽頭痛に対する鎮痛薬、発熱に対する解熱薬、咳に対する鎮咳薬なども対症療法の一例である。
 医療技術が進歩した現代においては、疾患を治癒させ健康を取り戻すことのみが医療の目的であると考えられがちである。しかし疾患の進行程度や患者の全身状態によってはそれが叶わないこともあり、適切な対症療法が必要とされる。患者本人の意思により対症療法が選択されることもある。また、風邪のように対症療法のみ行いうる疾患も存在する。
 対症療法と原因療法は対となる概念であるが、治療においてはこれらをバランスよく組み合わせて行い、症状を制御しながら原因疾患の治療を進めるのが理想的である。

●まあ、何事もバランスである。

うちあわせる

●今日はとにかく打ち合わせて、それで終わった。
●ニュースで知ったが、19日から3日間、哀悼の日ということで、中国の大手ポータルサイトはすべて白黒になっている。
●いろんな意味で、また一から中国語を学ぼうと思っている。とにかくあと3年間。やる。

仕事が終わらない

●今日こそ帰って仕事をしようと思っていたのだが、昼間も夜も、思ったように進まない。気ばかり焦る。

コツコツ

“●大連から戻ると思った通り、仕事は思った以上に溜まっていてコツコツとこなしていくしかない。
●中国語の語学力が思いっきり落ちているわけではないが、そもそも小学生低学年から中学年レベルの単語量しかないので、こちらもコツコツと増やしていくしかない。
●ちなみに体重の方は3月以降ほぼ78.5kg近辺でずっと横ばい。あと6kg。こちらも1ヶ月1kgのペースでコツコツだ。
 コツコツにまさるものはない。

引きこもる

●心の中のモードが微妙に変わりつつある。何でかよくわからないけれど、たぶん、いくつか思い当たる節はあるものの、最も大きいのは、映像作品を作るにあたって映像詩のようなものが創りたくなったというのがある。
それと同時に、いろいろな音楽を聴いているうちに15年〜10年くらい前の精神状態がよみがえってきたというのもあり、当時言葉にならなかったものも含め、今、何らかの形にできればと思う。
さらにその映像作品とも通ずるように、今度のソロパフォーマンスに通ずるための「引きこもり」のために、自分の机の周りをカーテンで仕切り、漫画喫茶のようにしてみた。1.5畳くらいの小さなカーテン仕切の個室である。
●そんなわけで、久しぶりに『ブリタニカ草稿』に通じる文章を引用。

ハイデガーは、『存在と時間』を刊行した1927年の夏。フッサールの信頼に応えて、『大英百科事典(エンサイクロペディア・ブリタニカ)』に新たに収録されることになった「現象学」という項目の執筆に協力しているが、その準備作業の段階で「現象学の理念と意識への還帰」という標題をもつ草稿を書いている。ここで彼は、西洋哲学の伝統に対する現象学の位置について実に明確な指示を与えている。

「自然・歴史・空間についてのもろもろの実証科学は、存在するものの全体からそれぞれの対象領域を手に入れてくる。これらの実証科学は、存在するものへ直接立ち向かい、その総力を挙げて、およそ存在するすべてのものの研究を引き受けようというのである。かくて古代以来基礎学とみなされてきた哲学には、もはや探究可能ないかなる領域も残されてはいないように思われる。だが、ギリシア哲学はその決定的な始まりから存在するものを問いの対象にしていたのではなかったか。そのとおりである。しかしそれはあれこれの存在するものを規定しようとしてではなく、存在するものを存在するものとしてつまりその存在に関して理解しようとしてであった。だが、その問題設定も、したがってまたその解答も、長いあいだ晦冥[かいめい]の域を脱しえなかった。けれども、すでにその端緒においてさえ、ある奇妙なことが認められた。哲学は、存在するものについての思惟自省するという仕方で、この存在の闡明[せんめい]を果たそうとしているのである(パルメニデス)。プラトンのイデアの露呈も、魂の自己自身との対話(ロゴス)に定位されている。アリストテレスのカテゴリーは理性の言表する認識作用との関係で生じたものである。デカルトは明らかに、第一哲学を思惟するものに基づかしめている。このように存在するものから意識へ視線を転ずるということは、果たして偶然に起こっているのであろうか。こうした意識への還帰の必然性を原理的に解明すること、この還帰の途とその辿り方を根源的かつ明確に規定すること、そしてこの環帰において開示される純粋主観性の領野を原理的に画定し、体系的に踏査すること、これがすなわち現象学なのである。」

(木田元『現象学の思想』/ちくま学芸文庫 p46より)

●長くなったけど、ここはかなり重要なポイントになると思う。
●あと、この本を大連で読んでいて、フッサールの現象学に対する考え方の変遷が面白いと思った。まだまだ調べなければならないことはあるが、少しずつ見えてきた。

休み

●今日は何もしないことに徹して、休むことにした。会社に行って、やろうと思ったこともあったが、どこにも出掛けなかった。
●これから放映されるであろう観たい日本映画のことを考え、いろいろとサイトを巡る。それでワクワクするような作品がこれからあると思うと、それだけで楽しい気分になる。
●あともうすこしで発売されるのではないかと言われているDocomoの906シリーズが発売されたら、すぐに買い換えようと思っている。中国でもそのまま端末として使える機種であれば、それが非常に助かるんだけど。あと、普通に持ち運びやすいデジカメとしての携帯電話に、魅力を感じている。

四川大地震のこと

●12日現地時間午後2時30分頃、ちょうどわたしが飛行機で成田を飛び立った1時間後のことだ。300kmに渡る断層。1000km離れた北京にも揺れが伝わるほどの内陸部で起こった世界最大規模の地震である。現在(5/14 20:00)までに1万5千人近くの死者が確認されている。
●2008年は中国という国家にとって大きな転換期になるのではないかと思われる。
 今年頭の労働法の改正と実質的資本主義経済の歪み、2月の餃子問題、そして今回のこの四川大地震、この間を繋ぐかのようにネット上では徐々に市民達の声が高まる。

●と、ここまでは大連で書いていたこと。
 今朝起きたところで、大連のいつもの霧。飛行機は案の定遅れる。1時間ほど。それ以外はすべて順調に帰国。

寝過ごす

●昨日の映画の話の続きだが、これといって話はまとまらないままなんだけど、どうしたらいいだろかと考えながら、現象学の本を読んでいるうちに、本の中身も頭に入ってくるわけではなく、かといって考えはまとまらず、ただ時間だけが過ぎ、そしてようやく寝付けたと思ったのだが、目覚ましを忘れていたことに気付いたのは、7時40分に起床してからだ。
 7時30分に運転手を待たせていたので、慌てて5分で準備をし、会社には間に合った。
●昼休み。演繹的思考と帰納的思考について考える。まあ、それはまた別の話として。
●ひとつ、お客さんというか、知人の30代中盤の中国人から興味深い話を聞いた。その人は日本語も非常に流暢なのだが、いまの若い世代(おそらく想定しているのは20代前半)は、豊かになってきたせいで、気が緩んでいるという。最近面接した日本語2級のある若い子は「場所」という漢字も読めないという。それで若い子は自分の世代に比べて考えが甘いと嘆いていた。
 確かにそういうふうに人間も変わりつつあるのかもしれない。
●この辺も含めてまた後日。
●で、帰国の準備を着々と進める。明日は寝坊するわけにはいかない。

映画を撮りたい

●急にそんなことを思った。仕事のことを忘れられる時間が少しでもいいから欲しい。
●まずは台本を書こう。先に小説を書いてからとも考えたが、小説を書くことよりもまずは2009年5月の映像公開を目指して、短くてもいいから何か撮ろう。48分。いや23分でもいい。それで何か考えよう。
 時間的制限と空間的な制限(撮影場所)、キャスト、スタッフも含めて制限だらけだが、だからこそやれることを考えるというのが大事なところだ。
●こちらの四川大地震については、帰国後にまとめて書こうと思う。メールもいただいているので、とりあえず大連はたいした混乱もないということをお知らせしておきます。

いかと猫

●集中的に仕事を終え、今日は早く帰る。行きつけだった喫茶店Chaiに行き、さばの塩焼き定食でヘルシーに夕飯を終える。
●で、帰りに外には屋台のような店が並んでいるのだが、そこに白ベースで黒ぶちの猫が一匹。
 最初は遠巻きにみていたその猫だが、しばらくして生のイカを売る店の前に来たかと思うと、そこにちょこんと座り他のお客が買い物をするのをみている。
 そんな光景をしばらく見ていた。

またしても大連へ

●まだ帰ってから二週間しか経ってないと思うのだけれど、また来てしまった。
 毎月一回のノルマのようになっている。今回は、そんなに気を張らず、ストレスを溜めないように、かつ確実に前進させていくのが目的。
●ホテルに入るといきなり電気がつかないという問題に遭遇する。電話で人を呼び、いろいろやってみるのだが、どうやってもつかない。で、2〜30分したところでブレーカーが落ちていることに気付いた。
●そんなこんなで再び細切れの大連生活。
●そういえば、朝、トランクを引いて歩いていたら、見知らぬお婆さんに「海外旅行かい? いいねえ」と言われた。あんまりいいものでもないが、そうして見知らぬ人に声を掛けられ、それで何となく会話があるという状態そのものがやはりいいなあと思った。
●ストレスを溜めないためにも、そんな小さな幸せを一日一つは見つけ、それを大事にしようと思ったのだった。

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