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2007-11

643ノゲッツー『爪痕』、トリガーライン『微熱』を観る

●車で出発したのは11時半。途中、昼飯を食べて、高円寺を目指す。しかし、高円寺駅周辺の駐車場がどこも満車で入れない。仕方がないので、少し離れた駐車場に入れ、歩く。明石スタジオへ。
『次の出発』に出演してくれた伴田さんが出演中の643ノゲッツー『爪痕』2時の回。
ざっくりした印象だが、もっとごちゃごちゃするならゴチャゴチャに徹することもできたようにも思う。4幕構成の最後で巧くまとめようとしすぎていた感もある。
●さらにそこで藤田さん、筒井さんと合流し、車で王子へ。ルート的に新宿・池袋を通ってしまったので、5時5分前ギリギリで王子に到着。劇場裏にちょうど駐車場があったので助かった。
●トリガーライン『微熱』はまずセットがしっかりしていて、好感が持てる。美術に対する意識がしっかりあるのは気持ちいい。わたしにとっては結構重要な要素である。
 構成的には完成度が高かったように思うけど、これも巧くまとまっていて、テレビ向きだったようにも思う。もし、テレビドラマで好んでチャンネルをとめて見るかと考えたらそうでもないかもしれない。
●やはり舞台は舞台でしか観られないものを見たいものである。
●ただ、ハシゴして舞台を見るのも久しぶりで、こういうのもたまには悪くない。

sub.jp

●そういえば、kengakusha.sub.jpというロリポップのレンタルサーバーも借りていたが、更新するのをすっかり忘れていた。なので、そのうち消滅することになる。
 ここには次の出発のXOOPSで作成した特設サイトが今も残骸となって、微妙な形で残っているのだが(というのも、XOOPSのアップグレードをしたら、いくつかのものが消えてしまったからだが)すでにバックアップはとってあるので、まあ、いつ消えてもいい状態ではある。
 あとはせっかくだから、それを何らかの形でこちらのkengakusha.comの本家に移してやりたいが、いかんせん今週はまとまった時間が取れないので、おいおい。
 というか、そろそろ全面的なリニューアル計画も実行に移したい。
●リニューアルついでに、公演準備や撮影準備のためのWikiも準備する計画だが、いつになることやらまだいっこうにわからない。

まだ覚える

  • 2007-11-08 (木)
  • Web

●本格的にWeb制作を仕事にするために家に帰ってからもスタイルシートとjavascriptの学習が続く。
 一時から比べたら、web上のビジュアル表現でできることもかなり広がっている。2.0的なものばかりに目が行きがちだが、それもまた一つの手法に過ぎない。
 舞台のコンセプトと同じようにwebでも映像でも何度でも見てみようと思えるものを作りたい。そのためにweb2.0的なコミュニケーションを選ぶのも一つの方法だが、やはりそれ以外のところに求めるものはあるような気がする。あくまで気がするだけなんだけど。
●HALCALIの歌が流れると、母猫のロムは無心になっているかのような表情でよく聴いている。

継続的改善

●『地下室の手記』が続いたので、この辺で少し息抜き。
●体重の変化はスタート時から-3kgまで来たものの、それ以降はなかなか落ちない。やはり食事を抑えるだけでは駄目で、ここ数日、運動をしていないことが原因だろうことは容易に想像できる。
 まあ、地道にコツコツとやっていくしかない。一時的改善ではなく、継続的改善が目的である。
●何事も。このWebもまだいろいろやれることがある。そのことを考えていたら、また眠れなくなってしまった。

地下室の手記3

●風呂に浸かりながら、久しぶりに台詞を覚えてみる。昨日、この流れも響きも気持ちのいいと思った『地下室の手記』のこの文章。

 まさにこの冷ややかなおぞましい絶望と希望の相半ばした状態や、心痛のあまりやけを起こして我が身を地下室に四〇年間も生きながら埋葬してしまうことや、こうして懸命に創り上げた、それでいてどこか疑わしい己の絶体絶命状態や、内面に流れ込んだまま満たされぬ願望のあらゆる毒素。激しく動揺したかと思うと永遠に揺るぎない決心をし、その一分後には再び後悔の念に苛まれるという、こうした熱病状態の中にこそ、さっき俺が言ったあの奇妙な快楽の核心があるのだ。この快楽は実に繊細なもので、ときには意識をすり抜けてしまうぐらいだから、多少足りない連中や、さもなければ神経の図太い連中にさえも、この快楽の特性は何一つわかりはしない。(光文社/古典新訳文庫・ドストエフスキー『地下室の手記』安岡治子訳 P26)

●昨日の引用に比べたら非常に短いが、これだけ覚えるのも結構しんどい。だけど、言葉に対して脳が活性化していく感覚がよみがえってくるのは非常に心地よい。とはいっても、覚えて一時間後にはだいぶ忘れてしまっている。まあ、いつものことだ。忘れては覚えての繰り返し。身体に落ちるまで繰り返すのみ。
 何しろ二年半あるが、二年半しかないのである。

地下室の手記2

●言葉の並びが心地よい独白が続く。その前にそこに至るまでの変容ポイント。

 自意識過剰の人間は、もちろん自然の懐から生まれたわけではない。化学実験装置の蒸留器から発生したそういう人間は、自分と正反対の者を前にすると、ときにはすっかりひるんだあげく、強烈な自意識をもっているくせに、自分を人間ではなくネズミだと真面目に考えたりするからだ。たとえ強烈な自意識を持つネズミにしろ、それでもネズミには違いない。ところが相手は人間だ、したがって……(中略)そして、重要なのは、彼が自ら自身をネズミだと考えている点だ。誰に頼まれたわけでもないのだ。ここが重要なポイントだ。

●こう来た上で、さらに続きを見てみたい。ちょっと長くなるけど、編集しながら引用する。

 さて次に、このネズミの行動を見てみよう。仮にネズミもまた、侮辱を受けて腹を立てているとしよう。そしてやはり恨みを晴らしてやろうと望んでいるとしよう。ネズミの憎しみは、ひょっとすると、<自然と真理の人>の場合よりいっそうひどく鬱積するものかもしれない。侮辱を与えた奴に同等の悪意で仕返しをしてやりたいという、嫌らしい品性下劣な野望は、<自然と真理の人>よりいっそう醜くネズミの心を掻きむしっている。なぜなら<自然と真理の人>は持って生まれた愚鈍さゆえに、おのれの復讐心をしごくあっさりと正義だと思いこんでいるのだが、ネズミは強烈な自意識ゆえに、この際正義などというものは否定するからだ。不幸なネズミは、当初の不快さに加えて、自分の周りに疑問だの疑惑だのの新たな不快さを、山のように堆く積み上げてしまう。一つの疑問が生ずると、そこへまた山ほどの未解決の疑問を呼び寄せてしまうので、ネズミの周りには嫌でも何やら宿命的などぶ水や悪臭ふんぷんたるぬかるみのようなものが溜まっていくのだ。このどぶ水、ぬかるみの成分は、ネズミ自身の疑惑、同様、そして裁判官だの独裁者だのの姿をした率直なやり手タイプが、、勝ち誇ったようにネズミを取り囲み、大口を開いて笑い、吐きかける唾なのだ。

●と、ネズミのたとえから自らがネズミに変わっていく様子はまさしく変容である。さて、ここからだ。というか、こんなに長く覚えられるのか。いや、まだまだまさしく「序の口」。ここからまだまだ先に進む。膨大な台詞との格闘である。この流れは非常に面白いので、是非採用したい。で、次。

 もちろんネズミとしては、これらすべてを歯牙にもかけぬといったふうに、小さな手でひと払いして、我ながら疑わしい見せかけの軽蔑の笑みをにやりと浮かべるなり、自分の穴にすごすごと潜りこむしかない。この嫌になるほど悪臭ふんぷんたる自分の地下室で、侮辱を受けて笑いものにされ傷ついた我らがネズミは、たちまち冷ややかな毒気にみちた、しかもいつ果てるとも知れぬ悪意に身を浸すのだ。四十年立て続けに、自分の受けた屈辱をその最も些細な恥ずべき細部に至るまで一つ一つ思い出しては、しかもそのたびに、自分でもわざわざいっそう恥ずかしいディテールをつけ加え、自分で作り上げたその虚構で意地悪く己をからかい苛立たせるというわけだ。さすがに自分でも、でっち上げた虚構を恥じることになるのだが、それでもすべてを次から次へと思い出しては、ありそうもないデタラメを、そんなことだって我が身に起きたかもしれないじゃないかと考えだし、そうした屈辱をどれ一つとして赦そうとはしない。それでいて、おそらく復讐を始めるにしても、それは何となく中途半端に途切れがちの、みみっちいものであり、しかも自分はぬくぬくとした場所に隠れたまま、匿名でこそこそやるに違いない。自分に復讐の権利があることも、復讐が成功することも信じずに、むしろ復讐の試みゆえに自身が相手の百倍も苦しむことになり、しかも相手はたぶん、痛くも痒くもないに決まっていることもあらかじめ知っているのだ。

●いや、本当はこの次のセンテンスからが台詞としては凄くいいのだけれど、今日はここまで。何しろ俺も2時間しか寝ていない。

炬燵

●炬燵掛け布団用のシーツを買い換えようと鴻巣まで足を伸ばす。とはいえ、車で40分程度。
 で、家に帰って、炬燵をセッティングし、電源を入れると早速焦げた匂いがする。そもそも婆ちゃんが使っていたものだから、耐用年数を考えるとそろそろだろうというところだ。茗荷谷で使用していたときも、温度調節機能もあまり効かなくなっていたし。
 なので、電源も入れず、布団のカバーだけを掛けた状態で使用中。
●女子バレーの対セルビア戦を応援。第四セットに大きく流れが変わって負けてしまったところで、頭痛がしてきたので、薬を飲んで2時間ほど寝てしまった。
 これでまた夜眠れなくなってしまう…。

スーパーマリオギャラクシー

“●スーパーマリオギャラクシーを購入してしまった。
 Amazonの中での評価が非常に高かったので、読んでいくうちにどうしても欲しくなってしまったのだった。
 いや、確かに面白い。スーパーマリオブラザーズに熱中していた小学生時代を思い起こさせるというレビューがあったような気がするが、まさしくそのとおり。もちろん、グラフィックなどは変わっているわけで、操作だって変わっている。つまりそれは「感動の大きさ」が同じだということだ。
 しかしながら、そこに時間を持って行かれている場合ではない。あの頃はできなかった自分で抑制していかなければ。大人なんだから。
●そんなわけで、今日は間食も多く、夕飯もしっかり食べてしまったし、座ったままゲームをする時間もあり、運動もしていない。一昨日まで-3kgに達したと思っていたのに、-2.2kgまで戻ってしまった。
 なぜ、緊張の糸が切れてしまったのだろう。仕事の取り組み方を少し変えたからだろうか。
●まあ、いずれにしても怠けず続けよう。身体の体質を変えていく実験だと考えると、なぜかモチベーションも上がる。いかんせん、実験好きだからしょうがない。なんでもかんでも実験だと思うことで、かなり意欲が湧く思考というのはそれはそれで使い方さえ間違わなければ結構便利なものである。

トリビュート

●『奥田民生・カバーズ』と『ユニコーン・トリビュート』の一部を聴いて、やっぱり元のいいものはいろんなアレンジが聴きたくなるものだということを思う。
●そもそも、音楽だけでなく、芝居の世界でももっとちょっと前の世代の人たちの書いた戯曲を、いろんな若手が演出すればいいと思う。
 別役実氏の戯曲などはまさしくそのような形で、青山円形でも、水戸でも行われていたわけだが、思えば、そうしたオリジナルテイストの戯曲で、かつ、数多くの作品を残している日本の劇作家は少ないのかもしれないけれど、でも、いろいろあると思う。
 だから、わたしは昨日のストライキの話とはまた別に、もっと作品がオープンであった方が面白いと思うし、いろんな演出があったほうがいいと思う。
企画をする人が少ないのか、儲からないからやらないのか、わからないけれど、何だか勿体ない。

ストライキ

 米脚本家組合と映画・テレビ業界団体「AMPTP」は労使交渉期限の31日、脚本家の報酬や労働条件を規定する契約書(期間3年)の更新を目指し大詰め折衝を行ったが、決裂した。組合が大規模ストに踏み切れば、映画やテレビドラマの脚本が不足するなど、ハリウッド全体に大混乱が生じる恐れがある。
脚本家組合は今回、手掛けた作品がDVD販売やネット配信される際の報酬アップを要求したが、AMPTPは受け入れを拒絶。スト権は確立済みで、組合は近く組合に所属する1万人以上の脚本家を招集し、スト決行の是非を最終的に諮る。(時事通信)

●非常に珍しいニュースだったので引用。
●商業としての映画やテレビでのいわゆる職業作家と考えれば、あって然るべきことと思う。

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