Home > 舞台
舞台 Archive
背伸びしない
●夕方から、青山でお客様の新年会に参加。
普段はなかなか入れない敷居の高そうなお店もこうした機会を得て、なんとなく得した気分になりこそするが、まだ自分の身の丈に合っていないのも感じる。わずかな背伸びくらいならまだしも、まったく身の丈に合わない服を着るというのはなかなかしんどいものがある。
●わたしはもともと、偽りの姿についてより説得力を持たせるタイプの演技より、その役者本人が持つ本来的な有り様をそのまま引き出すタイプの演技が好きで、そうした芝居をつくってきたつもりだ。
それはいわば人生観から出発していて、「自分ではない特別な何者か(たとえば、ハムレット)」になるのではなく、「徹底して自分と向き合い削ぎ落とした先に見える人間の姿(役者そのものの人間)」に興味があるからで、前者はややもすると戯曲のための道具にしかなり得ないが、後者は役者そのものを見ることが出来る。
●まあ、このあたりは好みの問題もあるし、わたしも完全に前者の演技的な演技が嫌いなわけではないし、技術的には必要であるとも思う。
●ただ、話を元に戻せば、人生という舞台の中で、ずっとハムレットであり続けるわけにはいかない。ハムレットの役者も開演中、出番がないときには舞台袖にはけることができる。そこでは役者の身体と呼吸に戻っている。
実生活では出ずっぱりの舞台の中で、永遠に隠し続けられる演技は不可能だ。本来持っているその人らしさというものは必ず出てくる。
それはデコボコで、整っていなくて、下手くそで、言い淀みもある、不愉快なものかもしれないが、だからこそ面白い。
そこを見ていく必要があるし、それを肯定していきたい。
●まったく何の話をしているのかわからなくなったが、青山円形劇場から表参道の街並みを見つつ、車を停めた場所まで移動する途中、ふと過去の考え方から、経済人としても基本的に何も変わっていなかった、と思う。
●経済もきっと少しずつ、生活に先行するもの(市場原理で動くもの)ではなく、生活のためのもの(社会的贈与で動くもの)になりつつあるのではないかと期待している。そうなってもらわなければならないし、そうしていかなければならない。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
こどものためのスケッチから
●仕事はそれなりに進んでいるのだけれど、一向に創作のほうが進まない。スケッチも進展がない。そのためのノートを買ったわけだし…、iPadにもPagesをいれておけば、縦書きは出来ないけれど、iCloudでMacや同期できる。環境は着々と整っているのになあ。
●ただスケッチに関して考えていたのは、こどものためのパパママが演じる戯曲というものだ。
たとえば、七歳くらいまでが対象で。各年齢別に戯曲は異なるはずだ。幼稚園児向けとなると、まあ、そこそこ物語的要素が強くなるだろうが、1歳児や言葉のわからない0歳児向けになるとそれは極めて実験演劇的になるだろう。
●まあ、それは半分冗談だとしても、生活から考える演劇のスタイルとか、地方から考えるとか、いまだからこそできるかもしれない。変な野心とかなしに。ただただ自分たちのために純粋に作ってはどうか。
●塗り替えられる記憶や歴史の物語も一方では考えているが、積層する土壌や文字通り塗り替えられる外壁、あまりメタファーになるものが浮かばない。そして、メタファーを考えると逆にいつのまにか放射性物質の問題が想起されてしまうという罠がある。
●いま、どんなものをつくっても、結局解釈の頭がそちらに行きはしないか。
●反原発という運動としてのテーマはわたしもそろそろいいだろうという気がしている。世間的なコンセンサスは広く得られているのではないか。あとは具体的にどうするかという粛々とした段階にそろそろ入らなければならない。
ただ、一方で忘れないようにしないいけないわけだけれど。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
スケッチから
●一日があっという間に過ぎてしまう。
●なにかどうしても書いておかなければならないことがあったような気がしていたが、その一つは確かスケッチについてだ。
短いスケッチを書くところからはじめようと思っている。
そして、来年7月までには戯曲を一本書き上げよう。一本も書かなければ劇作家協会はやめよう。
●しかし、ままごとの柴幸男氏がやろうとしている『あゆみ』という作品についてネット(http://www.cinra.net/news/2011/11/18/133100.php)で見たわけだが、二つのことで興味深い。
●ひとつには一人の人物を複数の役者が演じるということ。これはすでに現代演劇では当たり前になりつつある手法だ。一方で難解にならないようにこれを見せる方法をわたしはまだ知らない。
その点でかなり興味深い。それを軽やかに描いている印象。
●もうひとつには、地方からの発信するということ。
●いずれもやりたいことに違いなかった。
●二つ目の地方からの発信の方法も含め、今ここでできることを探ろう。こことあそこだからできることがあるはずだ。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
中毒性
●ただただ文字を打ち込んでいく仕事が終わらず、結構納期に追われるような形になっているわけだけれど、つまらない仕事がおわらないことに苛立ちが募る。もっと無心にただただ書き移す。文字を打ち込むとう作業にすればいいわけだけれど、どうにもなあ。乗り切れないんだよなあ。どうしてだ。
●NHK『プロフェッショナル』は三谷幸喜。演劇の世界に入る前はテレビドラマの三谷幸喜と野田秀樹くらいしか知らなかったからなあ。
●何度も書いてきたけれど、やはり論理的なんだ。三谷作品は。だからこそ学ぶことが多かった。
(敬称略)
●何だか急にやる気になったよ。現場の雰囲気を見せられるとソワソワしちゃうんだ。うずいてくる。劇場のにおいや稽古場のにおいを思い出す。やっぱり中毒性があるんだよねえ。五年以上書いていないのに。
●何か書かなければねぇ。そろそろ。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
『砂の駅』体験
●いわずとしれた太田省吾原作作品。昨日もDVDを観ておいたが、今日は本番。
日韓共同制作公演『砂の駅』ということで、韓国のキム・アラさんという女性演出家の手でよみがえった。
●舞台美術的なところや演出のいくつか気になるところあったが、転形劇場時代の大杉漣さんや品川徹さん、鈴木理江子さんの歩く姿はまさしく転形劇場が蘇ったのではないかと思わせる。とくに品川さんの立ち方というか、存在はすごい。なんというか、今となってはいろいろテレビドラマなどにも出ていられるにもかかわらず、まったく変な色が付いてないというか、役者というか、人間の存在、人間のなまの身体がそこにあるという感じ。
●まあ、偉そうに書いているけれど、ついつい寝ちゃいましたよ。わたし。ええ。前もそうだったんだけど。いい舞台では寝ちゃう傾向がある。わたしですよ。
●解釈はこの際なくて、『砂の駅』は演劇として観るものではない、と改めて言っておこう。体験するものだ。
●太田省吾がなくなった今、こうした追体験の機会を得られたことは大きい。
●ちなみに、世田谷パブリックシアターがはいっているキャロットタワーでは、キッズルームがあって、そこでむすこんを預けたわけだが、そもそも授乳室が案内板に書いてないとか、キッズルームではできないとか、いろいろあってバタバタになってしまった。
●ただ二時間ばかり預かってもらって、キッズルームはとてもよかったと思う。本人最初は号泣したものの後半はだいぶ慣れてきたようだったし、そうして少しずつ大人になっていくわけだ。帰ってきたらズリバイのスピードが二倍になってたし。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
『トータルリビング 1986-2011』を観る
●遊園地再生事業団の舞台。
●以前も書いたように、こどももいるので昼間は妻が夜はわたしが観るという方法にしたが、いかんせん長い舞台だったし、わたしの観た夜はいとうせいこうさんと宮沢さんのアフタートークがあり、終わりはもう23:00近く。ただその分というか、なんというか、舞台そのものはもちろんだけれど、アフタートークもかなり刺激的で面白かった。「兆しや萌え」についてはまさしく昨日書いた「楽しみな状態」のことでもあるな。
●そして、遊園地の舞台そのものの捉えかたと、それを追いつづけたわたしの中での創作の分岐点みたいなものも見えてきた気がした。
●ここ最近ずっと生活者としても感じていることだ。
●創造、フィクションだからできることの強さを、あるいは演劇だから映像だからできることを改めて捉え直すいい機会だった。80年代についての貴重な話もあったし。
●そんなわけで夜も0時前に何とか池袋のサンシャインシティに戻る。
●昼間はわたしが子どもと過ごす間、Twitterで知り合ったふた組の親子と会う。同じ月齢の子を持つ親として気になること。いっぱい話してもらって嬉しかったし、Twitterとは違うそこに生きる「声」が聴けたのは嬉しかった。
●我孫子や流山のママたちの自然な声も是非傾聴したいのだけれど。
- コメント: 2
- Trackbacks: 0
記憶を書く
●昨日からぼんやりとあるイメージが湧いている。ただでさえずっと書けなかったものだが、何か見えてくる。いずれにせよ、テーマは「記憶」。記憶しか書けないのではないかという気がしてきた。逆に言えば、記憶なら何でも書ける気もしてきたのだ。
●あるいはユングの集合的無意識のことがある。
●記憶や無意識、夢なら書ける。それから童話や昔話をもっと読みたい。そこに重要なヒントがある。気がしている。
●そして、まだいくつかのイメージの断片が足りない。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
図書館で写真から思いを馳せる
●今日は昨日から考えていた通り、大連市内へ向かう。電車で。その移動もまた一興。今日の主な目的は中国の現代実験演劇の歴史を学ぶことにあるが、それもそもそも中国国際航空の飛行機に乗った際に座席に入っていた航空雑誌に、中国実験演劇の祖の一人とも言える「林兆華」という演出家のことが記事に載っていたからだ。見学者-004-『次の出発』の下敷きになった高行健の戯曲『バス停』もこの林兆華が演出をしている。
●で、図書館に行けばそれなりの本があるんじゃないかと思ったからだ。
●行って良かったのは、上海戯劇学院の雑誌やら、まさしく中国実験演劇について書かれた本が僅かながらもあったことだ。
●そこにわずかに写されている舞台の画像からいろいろな思いを馳せる。たとえば、林兆華演出の『便所』という作品は、古い中国の公衆便所が舞台だ。極めて斬新な舞台セットだし、どこか写真からは清水邦夫+蜷川幸雄の「現代人劇場」的な気配も感じられる(これも写真からしかわからないわけだが)。そんなこんなで、考えていた。
●そこから駅の方に向かって歩く。かなりの距離なので歩けるところまで。途中で疲れ果てて、駅までタクシーへ。さらに地下の商業施設のなかをブラブラと歩き、疲れたら珈琲を飲んで一息入れる。昼飯をまともにたべていなかったことに気付いたが、夕飯を早めの吉野屋の牛丼で。しかし、今気付いたが吉野屋は大連でしか食べてないな。
●夕方、暗くなったところで開発区、あ、今は開発区という名前ではないらしい。金州新区という住所になっている、というのも先月聞いた話だ。
●というわけで、足も疲れたのでしっかりストレッチ。たまにはいい運動だ。歩けることが楽しい。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
パラドックス定数『蛇と天秤』を観る
- 2010-11-13 (土)
- 観劇
●恵比寿Gallery siteにて。劇場ではなくギャラリー。
●この作品は言わずとしれた『38℃』という作品を書き替えたものだが、同じ器を使ってまた別の料理が出てきたといっても過言ではないくらいに別のモノに仕上がっている。いろいろと考えることはあったが、今回改めて野木萌葱作品の面白さを再発見した。あくまでもわたし個人ベースでの話だけれど。
●誤解を恐れずに言えば、素材そのものは劇作家・野木萌葱にとってはどうでもいいのだと思う。素材も器も問題ではない。素材としては「事件」も扱うし「数学」も「文学」も「職業倫理」も扱う。文字通りの[器]も「公共劇場」でも「ギャラリー」でもやる。外の音がうるさくてもやる。その姿勢は昔から変わっていない。おそらく最初からそんなことは最重要ではない。料理そのもののうまさを味わう。そして、今回のそれはその料理のプロセスがしっかり立ち上がって見えてくる面白さだった。思えば、それは岸田戯曲賞の最終選考で野田秀樹氏に指摘されたことそのものを克服して見せている。
●昼の回を観たあと、恵比寿を後にして池袋のLOFTへ。わたしたちにとって池袋は二重の意味で懐かしい場所。
手帳の中身やカレンダー、もろもろ来年に向けての仕入。
●何か開けてくる。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
『ジャパニーズ・スリーピング/世界で一番眠い場所』を見る
- 2010-10-17 (日)
- 観劇
●遊園地再生事業団の『ジャパニーズ・スリーピング/世界で一番眠い場所』を観る。ずっと楽しみにしてきた舞台だが、「見学者」として演劇活動が極めて少なくなった今、正直、ずっと頭に気になっていたかつての状態ではない。つまり、かつては毎日のようにチラシをながめ、その世界はどの様に構成されるのか思いを馳せ、それだけで眠らずにいられたほどだ。今はすっかり社会人になってしまい、そうもしていられなくなってしまった。
●ただ、改めて自分が見たいと思う数少ない舞台の一つであると再認識。刺激的な創作に触れたあとのなんとも言えない快楽はなにものにも変えがたいものだ。
●あまり多くは書かないが、オープニングはカッコイイ。
●で、改めて見学者はどういう作品を、どういう形で作っていくべきか考えるキッカケになった。「見たことにしない為のまた異なる手法」を考える。
●帰ってからは、我が家の本の大部分を箱詰めする。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
映画『告白』を観る/参議院選挙2010
●午前中の用事があって、その後、投票。すべての仕事が一段落。
●それで、イオンシネマの無料券をもらっていたので、映画を観に行くことにした。好評で期間延長中の『告白』を観る。
中島哲也監督の特徴でもあるミュージッククリップ的な映像処理と事象との距離感の取り方が、冷ややかさを感じさせ、それもまた狂った世界の恐怖感を煽ってくる。ひとつひとつ事象そのもののリアリティ云々はさておき、それぞれの事象の連鎖が織りなす狂いに向かってずれていく世界がすぐ隣に存在するかのような恐ろしさとなって、スクリーンから押し寄せてくる。
●小説としてもそうだけれど、ひとつのモノローグドラマの構成として考えても、面白いと思った。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
パラドックス定数『元気で行こう絶望するな、では失敬』
- 2010-07-04 (日)
- 観劇
●パラドックス定数『元気で行こう絶望するな、では失敬』を見に行く。三鷹芸術文化センターとの太宰治をモチーフとした演劇。モチーフということで、決して何かの作品が直接的に描かれているわけではない。
●高校生の自意識との太宰の自意識のクロス具合がほどよかった。わたし自身が太宰を読んでいたのはまさしく高校生だった。今のわたしには小さな機微を感じ取れる繊細さが失われているようだ。そういうことも芝居を見ながら一つのバロメーターになる。
●野木さん、今回もまたよく頑張った。20人の登場人物を書くのも、現場で統制するのも大変だったろう。何より続けていることが素晴らしい。
●野木さんを始め、十枝君や西原さん、小野君とも挨拶。観客として来ていた杉田さん、江原君とも会えた。
●帰ってくると、高校時代の同級生から電話。これも何かの偶然か。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
電子書籍への思い
●iPadの電子書籍も少しずつ出てきているようだが、講談社の京極夏彦・著『死ねばいいのに』の対応は、iPhone版でもその後出され、その志をまずは評価したいものの、そうか、結局appベースになってしまうのか…というのが正直な感想だ。
●雑誌でも、産経新聞appを作り出したYAPPAによるMAGASTORA。今日配信を開始したビューンはサーバーの処理速度が追いつかず。たしかにAppleのiBooksが音楽におけるiTunesでの独占状態を考えたら、ハードとしては許しても、コンテンツはあくまでもその土俵にのらないよう、仕組みを考えるのは必然といってもおかしくはない。ただ、結果、ユーザにとってはどうなんだろうなあ。iPadのなかに本棚はできれば一つのほうがいいのではないか。
●一方で、iBooksでは個人でもISBNとMac(エンコードが必要)、米国の納税者番号、があれば、出版が可能とのこと。しかし、アメリカの納税者番号はまず無理。となると、どうしたらいいか。
この「EPUB形式で作成した電子書籍を、iPhoneやPCのStanzaで読んでもらう方法」は興味深い。
と、読んでいて、戯曲も新しい形で出せるんじゃないか。そう思い始めたら俄然面白くなってきてしまうのがわたしの悪いところでもあるわけだが、やってみたくて仕方がない。
で、やってみた。Wordを直接変換してくれるフリーのアプリケーションがあった。それで変換。iPhoneで『雲の溜まる休日2006』を読めるようにしてみた。しかし、読みづらいな。書体も選べないし、戯曲特有のト書き部分の文字組や台詞の部分の文字組も気になる。もっといろいろできるとかなり面白いのではないかと思うのだけれど。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
『ジャパニーズ・スリーピング』リーディングを観る
- 2010-05-30 (日)
- 観劇
●初の高円寺。あまり降りたことのない駅だった。早めに来て、街をブラブラする。
●古着屋の多い街だということなので、昨日燃えたことだし、ちょっと探してみる。しかし、わたしは古着をうまく見つけることができないらしい。猫なら見つけるけど。
●で、喫茶店で一服。
●座高円寺へ。劇作家協会のホームグラウンドとはいえ、来るのも初めて。いい。空間がいい。学ぶところがある。壁とか床とか。
●うわー。参った。今、帰りの電車の中だが、ほとんど感想も新たな決意も全部書き終えたと思ったのに、ほとんど消えてしまった。うーん、同じことは二度書けないからな。
●改めて感想だけでも。遊園地再生事業団の『ジャパニーズ・スリーピング/世界で一番眠い場所』のリーディング公演初日である。
●座高円寺にあるカフェでのリーディングということで、19:00から夕飯。ミルクとにんにくとコロッケが入っていたスープ(スペシャルメニュー)も美味しかった。
●20:00からリーディング、スタート。1時間くらい。テキストはかなり演出の自由度が高そうで、いろいろ想像できる。今から本公演は楽しみで仕方ない。よかった。そして、そのなかでも次に出されるであろう小説も挿話としてあったようで、そちらも楽しみだ。
●いろいろ刺激を受けられた。こうしていいものを観ると、仕事も生活もメリハリができる。
●新たな決意も生まれた。それについては、消えてしまったことだし、まだ公開しないことにしよう。公開したのに実現できてないこともあるからな。
●いずれにしても、何だか次に進めそうな気がしてきた。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
『俺は李白じゃない』を観る
●大連は文化活動においては非常に後れを取っているが、そんななか市内の「艾书吧」という喫茶店は、大学と合同で主催し、演劇祭を行っていた。週末の土曜日に一度だけの公演だが、それが二ヶ月間近く続くとなればたいした企画である。
写真もiPhoneでそれなりに撮影したので、随時、アップしていく(5/23追加)。この企画をした喫茶店の雰囲気がとてもいい。本もある。ここで公演するのかと思ったが、そうではなかった。そこでチケットをもらい(無料)、大連図書館へ。タクシーで10分ほど行ったところにある図書館の二階が公演場所だった。
●今日は『俺は李白じゃない』とでも訳したらいいだろうか。
かなり堅い感じのものをイメージしていたのだけれど、さすが若手。全体を通した本としては、まあ、それほどたいしたことはないが、役者の技術的なレベルも高く、舞台上の楽しさにこだわりを感じた。暗転が多く、コントのようであった。実際、お客も笑っていたし、定番の笑いなども随所にあってわたしも結構楽しめた。
●で、そこからiPhoneのマップを頼りに駅の方まで歩いてみる。
●満州の名残を残す古い街並みを味わいながら駅前まで戻り、ブラブラ歩く。夕飯も市内でカレー。
●帰ったらさすがに情報量が多かったせいか頭も痛い。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
ピンター後期戯曲群
- 2010-05-10 (月)
- 台本・戯曲
●お腹が常に張っている状態で気持ち悪い。背中もガチガチになっている。
●『ハロルド・ピンターⅠ』『ハロルド・ピンターⅡ』『ハロルド・ピンターⅢ』がAmazonから届く。後期の戯曲がしっかり詰まった戯曲集。しかも文庫で読めるのは非常に嬉しい。
●個人的な注目は、Ⅱに収録されている『月の光』、Ⅲに収録されている『灰から灰へ』『声(放送劇)』など、『沈黙』や『風景』などにも通ずる静かで激しい詩的言語の多い戯曲だ。
その他、後期の政治劇にはあまり明るくない。その辺もまた興味深い。
●その他いくつか会社に関わる本も合わせて購入。頭を切り換えながら少しずつ読もう。
- コメント: 2
- Trackbacks: 0
演出をするならばという夢
●こんな夢を見た。
○別役実さんの『数字で書かれた物語』あるいは、その近辺の作品。わたしたちは大学にいた。今の年齢か、あるいはもう少し前。見学者で演出を部分的に頼まれたのだった。ただ、台詞も再構成はできない。もちろん、別役さんも観に来られるだろう。かなりドキドキした。そこで目は醒めた。朝5時だった。
●そのあとは、夢ではなくて、目を閉じてその続きを考えている感じ。どうやって自分だったら別役さんの戯曲を演出できるだろうか。それを考えているだけでもワクワクした。
朝の仕事いい。朝こそルーティンの仕事ではなく、考える仕事をするべきだと、何かの記事に書かれていた。
●午前中は少しだけ遅めに会社へ。しかし、事務所の中が寒くてどうにもならない。手がかじかんでくる。
●夕方から外に出るが、その頃にはすでに雲も出てきて、日がかげっていた。だいぶ冷え込む。何をするあてもないが、事務所にいても寒いならとことん歩いて身体を温めたほうがいい。
そんなわけで、荷物を置いてまた街を歩く。少し中心から外れた人の少ない場所を歩く。目的はなにもない。
●何でもいい。戯曲を書かなければ。あるいは何か書き写すだけでもいい。海外、できればそうだ、中国のまだ知られていない戯曲があればなおいいが、そういう意味でもあまり実験的な演劇は中国国内ではなかなか知る術もない。と書いてみて、そうか、インターネットがあるではないか。拙い中国語で検索を辿っていけば、何かに出会えるかもしれない。
●夜、『ありふれた奇跡』の続きを見て、『1Q84 Book3』の続きを読む。いずれもいよいよ中盤に差し掛かる。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
晴天/身体のある台詞
●大連にしては珍しい快晴。掃除のおばさんたちも、朝から幾分気持ちよく仕事をしているように見える。しかし、なかなか思いっきり真っ青な空とか、満天の星とかそういった環境に触れなくなって久しい気がする。
沖縄とかどこか南の島に行ってみたいなあ。とはいえ、南の島はわたしには縁遠い存在だ。勝手にそう思っているだけだけど。わたしはどちらかというと北の大地でうつむきながら歩いていたほうがしっくり来る。とはいえ、ときにはいいじゃないか、南も。
●で、今日の昼飯。まあ、普通に戻って良かった。一応シリーズ化しているので、こちらも。
昼間も天気がいいので外に出るのも苦ではない。
●気付けばもう週末。金曜日だった。天気がいいので今日もバスを途中で降りる。
●新たにDVDを購入。『ありふれた奇跡』(山田太一脚本/フジテレビ)。台詞の感じが非常に心地よい。まだ第一話と第二話しか観ていないが、いい具合で無駄のある饒舌さだ。身体を感じさせる台詞というか、そういうものが意識的に入れられている。
寝室で一人でいた父・岸辺一徳の台詞が特徴的だ。
娘、寝室のドアをノックする
父:え? 何…?
娘、ドアを開けて中に這入る。
父:(何かをベッドに隠して)おお。なんだ?
娘:いい?
父:いいって?
娘:今?
父:いいさ、なんだよ、聞くなよ、そんなこと。
娘:早いんじゃない?
父:そうだな、今日はな、ちょっとな。
娘:夕飯は?
父:ああ、食った。食べた。もちろん済んだ。もう八時過ぎだ。(ベッドに腰かける)
娘:外で?
父:外さ。駅ビル。天丼。
娘:へえ…。
●と、こんな感じ。この感じのドラマは貴重だ。何でもないが、丁寧な台詞運び。
●天気も良く、体調もいい。うん、いい感じだ。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
ちょっとしたイメージ
- 2010-04-14 (水)
- 舞台
●特別書くことはないのだけれど、少しずつ早めに帰れる日が増えてきたのでやや安定。
●そんななか、久しぶりに僅かだが執筆の構想が出てきたのだった。ほんの僅かなんだけれど、舞台のイメージみたいなものが少し見えてくる。戯曲を書く上では個人的にはすべてここからはじまるので、何とかこのイメージを捉えたい。
意欲的ではありたいが、あまりあざといギミックはいらない。
●あとは根本的にドラマツルギーについてもっと考えようと思ったのだった。実際、人は場面で各自のドラマツルギーを持って動いている。それ自体をコントロールしようなどという気はさらさらなく、ただどういう背景でそうしたものを持ち始めているのか、そこに興味があるのだ。今のこの目の前に広がる世界からわたしが掬い取れるものはおそらく微々たるものでしかないだろう。それでもそこに今この時代に何かを作り、発表することの意味が自然と出てきてくれればそれでいいのではないかと思えてきた。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
●割りとこまめにtwiterも書いたので詳細は省くが、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ったのだった。
1人7,000円と決して安くはないが、これはちょっと言葉にできない感動と体験を得られる素晴らしいものだった。およそ1時間半、まったく何も見えない空間のなかで、見知らぬ「メロンさん(男性)」「ともちゃん(女性)」「がっちゃん(女性)」と我々夫婦の五人。さらに視覚障がい者でアテンドをしてくれた「ひやまっち」の素晴らしいリードで何にも換えられない体験ができた。
さて、ここからちょっとネタバレ。
公園内での真っ暗闇の中でのボールのパス、ブランコ。縁側から靴を脱いで家に上がって探検。絵を描いたり。さらに靴を履いて、丸太三本分の橋を渡って最後はお金を払ってジュースを飲んだり。とにかくこの体験は記憶から消えないものになりそうだ。
体験に思考が追いつかないので、まだ保留しておくことも山ほどあるが、より鮮明に思い出せるようにこうして記録しておく。
見学者や黒沼佰見としても、「見る」ことに思考の起点を置きつつも、目に頼らない体験そのものということは重要視してきたつもりだが、完全に視覚を失った状態でも、もしかしたら生きていけるかもしれないと感じられたのは、もちろん、世界がそのなかで完結しているからだが、その先に広がる世界そのものがすべてこの優しさと温かさを軸としたコミュニケーションで構成されているならば、それはどこまでも広げられるだろう。そして、改めて見学者とこの視覚問題は考えていくことになりそうだ。
●さて、その後、一駅離れたドイツ文化センターへ。遊園地再生事業団ラボ#001『バルコニーの情景』のリーディング公演。戯曲(これは戯曲ではないという作者の注釈はあるけれど)の構造にどうしたって注目が行く作品。
公演としての完成度は、まあ、触れないが、個人的には舞台の映像でしか見たことのなかった俳優さんがいたり、あるいは今まで遊園地再生事業団に関わってきた人たちが、客席やスタッフとしてその場に集っている状態に刺激を受けた。
あとは今年行われる宮沢作品の新作本公演が楽しみだ。
- コメント: 0
- Trackbacks: 0
ホーム > 舞台
-
- Adobe
- Aperture
- Apple
- AppleTV
- ATOK
- CA
- CityBoys
- CS4
- CZ
- Delicious Library
- DIGA
- DVD
- DVDStudioPro
- DVDオーサリング
- DVDプレイヤー
- DVX-100B
- Evernote
- Excel
- FileMaker
- FinalCut
- Flash
- GH1
- GTD
- iDVD
- iLife
- Illustrator
- iMovie
- iPad
- iPad2
- iPhone
- iPhone app
- Keynote
- Leopard
- Mac
- MacBook
- MacBookPro
- MacOSX
- MightyMouse
- MindMap
- Parallels
- Photoshop
- PSX
- skype
- SnowLeopard
- TV
- TVドラマ
- USTREAM
- Web
- Wii
- Wordpress
- こども
- インスタレーション
- カズオ・イシグロ
- カメラ
- カラーコーディネーター
- グリーンカーテン
- システム手帳
- ストレス
- チェーホフ
- デザイン
- データベース
- ドストエフスキー
- ネットワーク
- ハイデガー
- ハロルド=ピンター
- パターナリズム
- パラドックス定数
- ビデオカメラ
- フォント
- プリンタ
- プロジェクタ
- ベケット
- ベランダ
- メガネ
- メモリ
- レンタルサーバー
- レヴィナス
- 三木聡
- 三谷幸喜
- 中国
- 中国映画
- 中国語
- 亀
- 住まい
- 倫理
- 内田樹
- 別役実
- 劇作
- 印刷
- 原発
- 地下生活者の手記
- 地点
- 大人計画
- 大連
- 太田省吾
- 子供
- 宮沢章夫
- 家
- 家具
- 山田太一
- 岩井克人
- 岩松了
- 張芸謀
- 戯曲
- 手帳
- 撮影・編集
- 文体
- 料理
- 日本
- 映像
- 映画
- 村上春樹
- 松本幸四郎
- 林兆華
- 次の出発
- 歩く
- 歯
- 河合隼雄
- 洋画
- 減肥
- 演技
- 照明
- 猫
- 現象学
- 環境倫理
- 目
- 社会
- 禁煙
- 経済
- 緑のカーテン
- 編集
- 美術
- 脳
- 臨床心理
- 花粉症
- 茂木健一郎
- 見る
- 見学
- 観劇
- 言葉
- 記憶
- 資本主義
- 身体
- 辞書
- 邦画
- 電気
- 震災
- 頭痛
- 風邪
- 香川照之
- 高行健
- 鷲田清一














