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経済 Archive

『もしドラ』読了

●そこそこ話題になっている『もしドラ』。略称のままで失礼します。あの表紙がどうかと思うビジネス書である。かなり強烈なプッシュを受け、また先月だか先々月に大連で読むものがなかったので、ほとんど衝動的にiPhone版を購入した。
●いかにもな高校野球ドラマであるが、ドラッガーの原書にあたりたくなったのは、ある意味ではこうしたビジネス書はある種のドラマ性をもって描くことで理解が深まるということもある。あと問題はドラマツルギー。
●確かにビジネス書の大部分が極めてチープなドラマツルギーの上に成り立っており、それがひいては経済そのものの閉塞感を生み出しているのではないかとさえ感じられるほどだ。
●経済世界には「成長戦略」「成功体験」などのようなものがベースにある。だから云わんやチープなドラマツルギーに陥りやすい。しかし、わたしも労働者として働いている際にはよく感じたが、そのドラマに乗っかれないのだった。どう考えても面白くない。
●なにか経済書、ビジネス書の類でも新たな展開を見出せないものだろうか。
●日本の少子化と同時に向かうであろう今後の「経済成長戦略」以外のまた別の生き方があるんじゃないかともまだ思っているんだが、まあ、その神話はなかなか簡単に崩せそうにない。

見慣れぬ食堂/ATOK 2010


●金曜日はうまく昼食にありつけなかったので、現地の社員について行って近場の食堂に行ってみる。入口にコックらしき人物が座っているからわかるものの、確かにこれでは食堂とは一目見てわからない建物だ。6.5元(今日現在のレートで85円くらい)。
●で、気付いたらATOK2010へのアップグレード。16日に出ていたようだが、当然、休日Macはネットに繋がっていないので更新されず。本日急遽更新。見た目上は何が変わったわけでもないが、まずは更新。詳しくはATOKのページのここにあった。
 心なしか変換も賢くなったようには感じられる。iPhone4の変換になれたからか、ただそれでも長文を一気に打ち続けて、スペースで一気に変換しても大丈夫だという安心感がある。
●夜は急に中国語の勉強がしたくなって、iPhone4内の辞書を片手に現地テレビを見る。経済バラエティ番組だが、なかなか面白い。
●サボタージュがあちこちで発生中。うちは今のところ大丈夫だけど、明日は我が身。こういう時に中国語で直接彼らと話ができるかどうかは結構大きな違いになって来る。いかんせん、どこに仕掛け人がいるのかわからない状況だ。組織というのは本当に厄介だし、経済もまた厄介だ。その二つが組み合わさってさらにややこしい問題に発展する。

蟻族

●たとえ文章だけだとしても感情を露わにしてものを書くというのは非常に体力のいることだ。何だかいろいろあったので気晴らしに昼休み散歩。こちらではよく見る尾が黒くて長い鳥。いつも名前を忘れてしまう。巣作りで忙しいようだ。
●さて、ここに昨日付けたTwitterToolsだったが(おそらくこちらからのアクセスでは)圧倒的に重くなるので、解除した。うーん、やはり中国でTwitterを使うことは諦めた方が良さそうだ。
●で、あるお客さんと話しているとやはり最近の若い中国人には大きな変化がうまれている。以前NHKでも放送していたが、いわゆる蟻族という種類の人びとだ。日本で言うところのワーキングプア。高いところを目指してもそこに成ることもできず、低い地位にも甘んじて就くこともできない人びと。あるいは「こう老族」といって、親の臑齧りをずっと続けている世代でもある。
 しかし、日本と事情が異なるのは低いところが本当に低いということだ。
 それには去年の世界金融危機の問題がある。少しずつ歯車が狂いはじめている。つまり、すでに狂いはじめた世界を一切に引き受けて、新たに立て直さなければならない時代が来ている。それを先延ばしにするか、今やるか。

禁欲主義

●今こそ『プロテスタンティズムと資本主義の精神』を読むべき時代なのではないかと思う今日この頃。
 会社では経費削減の為にいろんなところで金銭的な節約。また、税金は増えても煙草は気持ちよく吸える環境もなくなり、禁煙という禁欲。それから、メタボ対策と称する食事制限。さらには環境問題という傘の元にエネルギー消費の節約。
●これを禁欲的状況と呼ばずに何というのだろうか。あらゆる禁欲を徳とされるこの時代だ。
●うまく言えないが、思うにこれは今現在35歳以上のいわゆる戦後派からバブル期以前の世代の人びと(これを「太陽の世代」と勝手に名づけよう)に向けた、34歳以下のポストバブル以降の世代(対比としての「月の世代」)からのメッセージではないか。
 わたし自身は浮かれているあの世代以上がどうしても許せない時期(中学から高校にかけて)があった。許せないというか半分ひがみもあったのかもしれないが。
 ああ、「メッセージ」というのは違うか。ポストバブル以降の世代が社会に台頭し始めて来たことが、先に挙げたような文化的背景を築き上げている「要因」のような気もする。あるいはかなり巧妙に仕組まれた人為的な操作にわたしも大きな意味では飲み込まれているのだろうが、そうした集団的無意識レベルの禁欲主義にやや危険性も感じてきた次第。

本日の体重:80.1kg/体脂肪:22.1%

●とはいえ、かくいうわたしも朝はサンドウィッチ。昼はしらすご飯と禁欲的に進めてきた。
 だけど、どうしても夜になって我慢できなくなってマックを食す。明日は増えると思う。

戦略マップ

●土曜日だけど、今日から会社に出勤。春節あけでまだ来ていない社員もいるが、ゆるりとはじまる。
 使う頭はあちこちに、財務関連のことから、営業の視点に立った売上・限界利益のまとめ、現場のデータベース、教育・育成の視点まで。
 ただ、これまで漠然としていたが、戦略マップの考え方で財務の視点/顧客の視点/内部プロセスの視点/学習・成長の視点と四つの大枠で考えることができるようになった。今、何を問題にしているのかわかれば落ち着いて対処も可能だ。
 大連に来なくてもできる仕事なのだが、これが土曜日であること、注意が散漫になりにくいことなど考えるとこうした仕事のはかどり方も違う。もちろん、わざわざ渡ってきたからにはという仕事もあるのだけれど。

詳細はhttp://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/strategymap.htmlで。
●日も延びた。
●帰りに『モヤモヤさまぁ〜ず2』のDVDを購入し、スタート回を観る。北新宿・西新宿・北池袋編。ちゃんと最初から観ていたんだな。思い出しながらもまだかなり笑える。berブルージーンズの赤ちょちん。
●そんなこんなで、元気をもらう。

ものづくりの楽しさ

●仕事でもやや開発寄りの仕事になってくると、かなり楽しいことになってくる。それがうまくいかないの問題はもちろんあるが、給料だけでない仕事そのものの楽しさというのを感じられる。
●結局、わたしは何か形ができあがっていく過程そのものが好きで仕方がない。その変化の動きを観察することもそうだが、その中にいられる喜びはひとしおである。まあ、常に最終的には完成というゴールが設定されているわけだが、そこまでのハードルが高ければ高いほど燃えるというのは、舞台作りもまた同じである。
●団塊の世代の人たちと一緒に仕事をする喜びはそこにある。おそらくあの世代の人たちは、ほしいモノ、必要とされるモノがまだたくさんあって、それを作るエネルギーに満ちあふれていたのだと思う。
●その後はアレンジの世代になってくると思う。あちこちの分野を繋いで、また別の形を作る。そのための幅広い情報はすでにどこでも得られる環境になってきている。いかにアレンジして、製品や作品をプロデュースできるか。おそらくはそういう渦中にいるのだろうと改めて考えていたのだった。

帰国/JAL再生

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●今回もJALなのでいちど会社に出る。今回は今までの出張とは異なる働き方をしただけにちょっと疲れた。特にMacの前でIllustratorとの格闘だった。IllustratorCS3はだいぶいろんなことができるようになっている。
 Photoshopも含め、最近のアップグレードで、いろんなことができるのは、こちらのサイト「できマガ」でも紹介されていて、Adobeも必死になって宣伝している。今さら感はあるし、何しろこのソフトの価格の高さを何ともしようとしない姿勢にはどうも納得ができないが、まあ、こういう企画そのものはやってもらえたほうがやる気にさせてくれるのでいい。
●さて、話は逸れたが、そんなわけで、新婚旅行から帰ってきた担当者に諸々引継ぎをし、運転手に空港まで送ってもらって、今は大連空港で待っているところ。これから一旦頭を空っぽにしよう。移動中の読書はよく進む。実際、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド<下>』も半分まで一気に進む。
●飛行機の中ではJAL再生のニュース。まさしくそのJALに乗っている。客室乗務員が「皆様には大変お騒がせし、ご迷惑をお掛けしております」とアナウンスする。JALの新しい社長は社長室から出て、一般社員と肩を並べて仕事をし食堂で食事をする。再生の為にはたとえそれが人が作った借金の為だろうが、それが単なるパフォーマンスだと言われようがしのごのいわずやれることをやるのみなのだ。少しだけ前を向ける人がビジネスの世界にもいるということが嬉しい。
●無事、家に戻る。だいぶほっとする。

頭の中の現実

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●会社ではもう嫌と言うほど喋ってしまった。まだ今ひとつ自分の中でしっくり来ない問題があるのだが、それは単純に「経済」や「組織」という問題のことだけでなく、金の使い方、人の使い方までそれぞれの思惑が混線している中をある一本の筋で通そうとしているところに生じてくる問題だ。それがまた至難の業ではないと改めて知る。形式だけになりはしないかとか、話し方としてわたしの伝え方は合っているのかとか。
●それはある意味、舞台稽古中の役者がその世界に生きているかどうかを探ってじっと見つめる作業に似ている。
●「机上の空論」とか「理想論」とかいう言葉がいくつか聞こえている中でも、あえてわたしは言いたい。「お前が見ている現実も結局はお前の頭の中にしかない」と。ある虚構の上に成り立つ世界(これは経済社会も一つの虚構であるというわたしなりの前提があるのだが)というのは、部分的に「ある」ものではなく、「作る」ものだからだ。「現実」は結局それぞれの頭の中にしかない。一時期、「リアリティ」とか「リアル」とかいうものが問題になったときのように。
●ただし、ものづくりにおいて、三現主義「現場・現物・現実」を重要視する姿勢はもう一つの大きな前提条件。「現場で起きた問題の現物を見て、現実=実際にどのような状態にあるか」を確認して、判断することであり、この際の「現実」とは「実際にどのような状態であるか」ということである。それと「どうしていくべきか」という問題は別の問題だ。そこには大きな飛躍か段階的解決が必要になる。
●このドラム缶の中に土が溜まり、草が生える状態になるまでに何があったのか。そこを本当に知るためには、もう一度「現場」に足を運び、「現物」を見て、その土の深さや草の生え方などじっくりと観察するしかないのだ。

市場原理とものづくり

●昨日の日記の続きだが、これは経済の社会にも同じことが言えるし、先日浅草で杉田さんが話してくれた芸能事務所と経済のバランスも同じことだ。つまり、芝居に味があるとか、こういう動きができるから面白いとかいう経済的に不合理な考え方は、「金」にするための芸能の世界では徹底的はじかれる。いわゆる「商品としてのスター」がいれば面白くなくても作るのだ。それが市場原理主義(いみじくも自民党のマニフェストが仮想敵として挙げたもの)。
 だからこそ、見学者は「損得」ではなく、やりたいことをやらせてもらっている。あるいは、経済的な「特」にはならないが、人間が生きていく上において必要なことを考える。もちろん、物事はそんなに単純ではない。
●芝居をプロデュースするという視点で考えたときに、あるいはこの劇団は何がしたいんだという視点で考えるとき、いろいろなフレームがあるだろう。
 1,手段はどうあれ、市場経済の論理に乗せることが最終目的である。
 2,経済の論理(ニーズに合わせて)に乗せた上で、つくりたいものを少しでも入れる。
 3,つくりたいものをつくった上で、結果として市場経済の論理に乗る。あるいはニーズを生み出す。
 4,最初から経済の論理を捨てた上で、つくりたいものをつくる。
 これらが複雑に絡み合っているが、それを踏まえた上で、その芝居があるいは劇団の表現が成功しているのか、失敗しているのかは初めて語ることができる。
 たとえば、野木さんのパラドックス定数などは、ある種の特殊性を濃密な空間を溢れ出る言葉の洪水で埋め尽くすことで、それがそのまま特殊性となり、結果的に経済の論理の上にも乗る形ができると思う。求められた条件の上で最適解としての台本を書くという彼女の職人性というか、そういう資質的なものも強く影響しているだろう。あるいは直接会っていないが同じく劇作コース後輩ではすでに商業ベースの舞台を黙々と書き続けている者もいる。それもまた同じく職人性だろう。つまり、求められるものが作れるかどうか。求められるものを作ることに喜びを感じられるかどうかだ。
●見学者では4の立場をとってきたわけだし、「ライフワーク」という言葉が便利だから今は使っているが、結局、ここで作ること、あるいは書くことは根源的に生きることそのものだと言ってもいい。もちろん、しかし、単なる垂れ流しでいいと思っていない。ただ、いろいろな外的条件や内的条件が重なり合ってわたし自身は職業作家にはなれないし、ならない。そういう立場だからこそ書けることがあるはずだし、その視点でのニーズもあると考える。
●経済の世界は断固としてここにあり、われわれは勤労の義務を果たすことを求められる。しかし、内田樹さんが『下流志向』で書いているように、今の人たちは既に(わたしを含めた団塊ジュニアの世代も)「生産の立場」からではなく、「消費の立場」から入っている。しかし、いわゆる戦中派とか戦後まもなくの世代は確実に「ものを作り、売る」ことが最初にある。だからこそ、そこに断絶があり、相互理解を難しくする壁がある。そこに、ニートという言葉が生まれ、認識が生まれ、存在する。そして、消費が前提となった世界で消費される商品を作ることの難しさを、彼らは最初から気付いている。一方で作ることの喜びを知らない(最初から諦めている)とも言える。かつては3のような立場で何を作っても市場があったから、自ずと作りたいものを作れば市場ができた。いまとなっては市場も溢れ、4のような立場の人間も増え、そこに多様化した極めて小さな市場がいくつもできあがる状況となった。
 ときどき来る営業マンがかなり市場原理主義的な発言を再三わたしに語りかけるが、もうわたしに話しかけないでもらいたいと思う。芝居の世界も商品作りの世界もある意味では同じだ。何しろ、社員も役者も「ものづくりの喜び」を味わうことは非常に重要なのだ。
●いずれにせよ(と、唐突な切り上げ方だが)鍛えなければならない。あらゆる方向から。

先送り

●会社の社員で頼まれていたのはピップのマグネループ。中国では188元とか200元とかで売られているが、Amazonで購入したのは115元程度。もちろん、社員に頼まれて購入しているので、そんなに高くは売れない。しかし、Amazonで買えば、いずれにしてもクレジットカードを使うので決済がずれる。8月は一時的に良くなっているように感じるが、9月には一気に引き落とされる。この気持ちの悪さ。自分のために買った物ならわかるのだけれど、時差のある両替というか、借金みたいで気持ち悪い。というか、クレジットカードってそもそも借金だよなあ。iPhoneも月額で購入しているし、それも一つの借金だ。うーん、いやだよ、借金は。
 借金とは「問題の先送り」に他ならない。いやだいやだ、問題の先送り。自分で先送りしたものを自分で解決できるうちは、それも一つの方法だ。だから、iPhoneを月賦で払うことには抵抗はあるが問題はない。自分で最後まで払いきれるからだ。
●うーん、他にもいくつか考えることがちらほら出てきている。今度の総選挙のこと、損得のこと、レヴィナスと村上春樹のこと、演繹法と帰納法のこと、ハイデガーのいう投企、あるいは主体性のこと。脳がいい方向に回転しはじめた。創作への意欲と仕事への意欲が同時に湧いてくることは滅多になかったが、いまは同時にそれが出てきている。この感覚を忘れないように思いついたことをメモしつづけ、そしてまた書きながら考える。ということで、これらのことは随時。

経済と文化、あるいはそれはどうでもいい

●経済には経済の理論というか文脈がある。企業の中にはもちろん、それぞれ「文化」と呼ばれるものもあるが、それでも70%だったり80%だったりで経済の理論で動くことになる。(あるいは経営者によっては100%の場合もあるかもしれないが、少なくともわたし自身はそれを受け入れることはできない。)そして、それはそのまま会社の文化を形成すると思われる。
●一方で文化には文化の理論、あるいは文脈がある。
●いや、何でこんなことを書き出したのかわからないが、会社の中で数字を追いかけていくときに結局、「設備」(あるいは装置)や「商品」は定められた金額以上のものにはならないが、そこで働く人たちの一人一人の力は、定められた給料以上のモノにもなるし、それ以下にもなるということを改めて思ったからだ。
 当たり前のことなのかもしれない。
 あるいはこうして対比のように経済と文化を並べることにそもそも意味はないかもしれない。わたしが見たいのはその先のものだし。
●そんなことも含めて、いろいろ考えすぎ、頭がぼんやりしてきたわけだが、今はとにかくこの状況の中でどんなベストが尽くせるか、それだけを考えるようにする。
 仕事でもそれ以外でも。

出発

●朝、パンと珈琲の朝食をとって、準備の整ったトランクを持って家を出る。妻に駅まで送ってもらい、そこから電車で成田空港へ向かう。スカイライナーで喫煙車両に乗ったのが行けなかったのかもしれないが、降りてからしばらく気持ち悪く、空港内ではただただぼんやりとして、あるいは今回は中国国際航空(CA)で第1ターミナルなのでTSUTAYAで本をブラブラ見たり、無印良品、ユニクロなどで時間をつぶす。毎月二回(往復分)成田空港での時間が数時間あり、それはもう特別なものでもなくなってしまった。出国手続きを済ませ、モバイルポイントに繋いで、iPhone3.0の情報を読んだり、会社に連絡を入れたり。
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●飛行機はやや遅れて到着。出発の時間もそのままところてん式に押し出されて遅れていく。大連に到着後は前回に引き続き、新型インフルエンザのための検査。先月のような重々しさはなく、非接触温度計で額の温度を測っていく。わたしの後方に1人60代と思しき日本人男性が、また前方に30代と思しき男性が熱が出ていると言われ、先に飛行機を降ろされていく。そして、その周辺の人たちはなぜかビデオで撮影。
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 とはいえ、それほど大きな騒ぎにもならず。だいぶ慣れてきているようだった。空港到着後も検疫の手際はよくなっていて、(少なくとも先月の2人体制では追いつくはずもないので)整理2名+書類検査4名体制くらいになっており、まあ、そのおかげもあって無事、飛行機が遅れた分くらいの遅れで到着できた。

●中国の経済は少しずつだが上向きに向かっている模様。久しぶりに大連で残業している様子を見た。
●わけあってiPhoneOS3.0の導入は来週くらいに予定中。

参った

●夜、NHK『爆問学問』を見る。書けるようなことはそれくらい。ただ、今日はある意味では非常に参ったことになっていた中で、ある種のヒントをもらったような気もするのだった。
●毎月のように大連に渡る中で、いや、あるいは向こうで本格的に仕事というものをはじめたときから感じていたことだけれど、経済の側面から考えた時に、ある意味では市場という意味でも工場という意味でも、ただ物を作って売ればいいという時代はとっくに終わってしまったニホンがここにある。そんな中で、彼等が日本再生もしくは、経済的な生き残りなどをかんがえていたかどうかわからないが、いずれにしてもキーフレーズ、テーマとなるのは日本文化、あるいはそれを培ってきた日本人的融合精神的なるものを拠り所にしていたのは興味深かった。
●つまり、その部分を真剣に考えて行くことがあらゆる局面で重要なヒントになる気がしてならない。それは、永遠の師ともいうべき故河合隼雄先生が1960年代からすでに「中空構造」として発表し続けてきたことでもある。議論はその域を未だに超えていないのではないか。ということも考えつつある。さらにその先のこととなると創造作業が必要になる。誰もがまだ見ぬ世界が待っている。まずはそのことを楽しもう。そしてわずかな変化をヒントに、また創造を前に進めてみようと思うのだった。

仕事モードへ

●昼前には起床。テレビ東京だったか、テレビ朝日だったかの世界同時不況についての中小企業の苦悩を描くドキュメンタリー番組を自分のことのように思いながら、仕事モードへシフトする。
●さらに終わったか終わらないかで、実家にむかい甥っ子姪っ子の遊び相手をする。姪っ子が少しずつ言葉らしきものを喋り出すのが面白い。
 今日は組み立て式ブロックの一部を天に掲げて、こう叫んだ。
 「やぎ!」
 おそらく彼女としては山羊を意味したくて放った言葉ではなかったのだろうが、あまりにもはっきりと言葉にしたのでみんなで笑った。
●さて、あっという間に週末が終わる。
●この不況の影響は見学者にも同様にあらわれる。そこである方法を検討中。今まで当者では考えてこなかったあるジャンルだが、やってみたいと思ったのだった。とにかくお金をかけずに。

数字

●今日はほぼ一日数字とにらみ合っていた。で、ちょっと決めたことがある。徹底的に経済と向き合ってみようということだ。
●一つには一昨日の(勝手に師と仰ぐ中のひとり)宮沢章夫氏の日記から考えることがあったから。

「不況」をはじめ、「経済」が衰弱、停滞すると、その影響をもろにこうむるのが弱い層になり、「好況期」にあっては富裕層に有利になる、という仕組みなんだな、結局、いまの経済のシステムは。
■で、それはいかにも凡庸な図式のようだが、現実の細部とはそのようなものだし、まるで社会に反映しないかのような、かすかな、そして小さな具体性、固有性が、薄紙が重なるようにして現在を形成していると感じる。

富士日記2.1Mar. 15 sun. 「ミーティングをする」ver.1.5より
●もちろん、同時に経済人という側面のわたしの仕事を通して、肯定・否定の先にあるどうにもならない構造も含め、徹底的に考え抜かなければならないと思ったからだ。というわけで、「経済」というカテゴリーをつくったが、果たしてどれだけ書けるかはわからない。ここではオープンにすべきことではないことも多分にある。資本論もそうだけれど、まずは経済理論学者の岩井克人氏の本を読もう。『会社はこれからどうなるのか』は非常に読みやすかったし、ハッとすることが多かった。もう一度そこから読み直そう。資本主義の大枠を知る上ではかなりいい入門書だと思う。
●で、数字とにらみ合っていた話に戻るのだけれど、今日ほどMacBookの画面サイズ13.3インチが小さいと感じたことはない。他の資料を参照しながらExcelに入力して行くにはかなり神経を使う。画面が大きかったら、あるいはもう一つあったらどれだけ楽だったろうか。そんなことを考えつつ、帰路についた。
●夜はケンタッキーを食べて、DVD『僕の彼女はサイボーグ』を何も考えずにぼんやり観る。

船の行方

●さすがにカレーにも飽きてきたので、喫茶店でハンバーガー的なものを食べつつ、本を読む。平日の夜に喫茶店に立ち寄っていろいろと考える時間を持てることは幸せなことだ。
 東京ならまだしも、なかなか日本の地方、特に車社会となるとどうも面倒になっていけない。歩いていてブラッと寄る感じが必要なのであって、車を運転するとどうしても目的地を目指してしまう。まあ、自分の中で調整できることなんだろうけれど。
●残業が減り、定時で必ず帰らなければならない企業が増えていく中で、今こそ自分に投資すべき時間が増えた、あるいは家族と過ごせる時間が増えたと喜んでいいと思う。
●経済の論理で考えれば、必ずしも喜べないこの不況だが、人間としての生き方を考えれば、この方がどれだけ精神衛生上よろしいかわからない。バブルなんて二度と来ない。すべて経済ありきの、経済のための人間ばかりを産んで、さんざん消費を促して、消費して、この船の行く先がどこになるかある程度乗船客はわかりつつも、そのまま流され続けている。だからこそ、船長はいま帆を下ろして改めてコンパスを片手にもう一度地図を見て、次の行く先を改めて確認し、波に抗ってでも舵を切らなければならないのではないか。本気になればまだまだどこにでも行ける。
●まあ、ここまでは言うが易し。つまらない宗教談話や安い経済誌の記事のようになってしまう。問題はここからだ。経済は勝った負けたではなく、成功失敗ではなく、本来の貨幣交換の場所へ一度立ち返り、それでも産まれてくる新たな消費も船が転覆しないよう調整しながら、梶を切るしかない。いまはとりあえずそう考えている。

冷凍餃子

●作れば売れるという時代が日本にもかつてはあった。だから、法より何よりも経済が優先し、資本主義が勝ち残った。その後、時代は流れ、利益中心主義的な企業の行いは、マスコミや国家によって閉め出されはじめる。
 しかし、かつての日本と同じようなことがまた隣の中国で行われている。有機リン系農薬の入った冷凍餃子が今日もニュース。まあ、これについてはニュースサイトに詳しいので、それは譲るが、まさしく繰り返す歴史を見るようだ。
●一方で上海万博に向けてのリニアモーターカーの延長増設問題は市民から政府が反対され、デモまで起こっているという。すでに情報化の整った環境で、政府がどれだけ書き込みを消そうといたちごっこにしかならないだろう。
 わたしの語学レベルでは、中国人民のそうした核心となる部分の言葉がわからないため、もどかしさを感じる。

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