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-101-地下室 Archive
Macにおけるいくつかの試み
●今日は一日、Macの世界にどっぷりと浸かってしまって、現実世界に戻ってくるのがやや難しいほどだった。
●やりたいこと、やらなければならないことは山ほどあって、それがいつものようにどこから手を付けるべきかという状況に陥ってしまう。
●デスクトップ(Finder)上でタスクを表示してくれるアプリケーションはあるが、デスクトップにファイルやフォルダを置いているので、なんなら、ToDo、Doing,Doneの横軸で三つくらいに区分けした壁紙を作って、さらに上下で重要度をグラデーション表示したらどうかと思いついた。で、実際にやってみたけど、あんまりでした。
●妻にiPhone3.0の調子はどうかと聞いたら、それどころではなかったようだ。海をまたいだこちらではこんなに熱望している男がいるのに。まだ雪が降らないのだ。雪が降らないことには、どうにもならない。こういうときのリアルタイム情報収集ってそれはそれで面白いが、じっと見ていられるほど暇でもない。
●一方で、Jingというスクリーンショットならぬ、デスクトップで動かす動画をそのまま録画可能なサービスを発見。FileMakerの操作手順とか、手順書とか作るのが面倒なので、そのまま動画で作って会社の中に落とし込めばいいかと思いついたのだった。そしてこの動画はこの方法(All Aboutより)を使ってQuickTimeムービーに書き出せば、iMovieで編集も可能なようだ。そうなるとまた別のことを思いついたり。まだ試してないので、どこまでのことができるのかわからないけど。
●まだあった、ブラウザも最近なぜかFireFoxがやたら遅くてSafariは4.0にしたら妙に軽い。この差を強く感じるようにってSafariならiPhoneともブックマークを同期できるし、そのほうがいいと思い始め、FireFoxでしかブックマーク管理してなかったので、FireFoxにXmarkというアドオンを入れて、Safariにも同じくXmark for Safariを入れる。(Xmarkにユーザ登録が必要だけど)サーバーに今回の場合はFireFoxのブックマークをアップして、Safariでダウンロード。その後はSafariをメインで使うことになるので、また逆になるように設定してそれが自動的に同期されるようにする。これでいろいろ便利になった。
●なんだかんだとそんなことをしたり、テレビドラマを見たりして、月曜日はあっという間に終わってしまう。
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『エレメント』
●会社でいろいろとやった後に、家に帰って何とか昨日のDVD『太田省吾の世界』を観る方法を考える。
MacBookでは再生できることから、映像を出力してアナログテレビで観ることも考えたものの、せっかくだからとプロジェクターを繋ぎ、大画面で『エレメント』を観る。
●『エレメント』は大学時代に江古田校舎の図書館で探し出した『悲劇喜劇』という演劇雑誌に掲載されていた戯曲を読んでいて、映像は観ることができないだろうと諦めていたもので、わたしのなかでは相当神格化されたものになっていて、ちょっと驚くような仕掛けがいくつかあって、それがまたこう表出したかと改めて驚かされる。
●で、何しろわたしとしては太田さんの舞台を映像であれ、何であれ、観られたことでいろんなものが全部リセット出来る感覚が心地いい。「何もかもなくしてみる」状態になれる。
いろいろ詰め込もうとしすぎている自分が嫌になる。
●というわけで、『地下生活者の手記、あるいはブリタニカ論文(仮)』は仮タイトル通り、ドストエフスキーの『地下室の手記』とハイデガーとフッサールの『ブリタニカ論文』が基にあったわけだが、1時間半ではちょっとおさまりきらないのと、今、わたしが観たいもの、創りたいものという意味では、ハイデガーの言葉はちょっと違うように感じ、もう一度、練り直すことにした。ともあれ、もっとシンプルでいいんじゃないかと思い、そう考え始めたら、何だか一気に前に進めそうな気がしてきた。
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引きこもる
- 2008-05-18 (日)
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●心の中のモードが微妙に変わりつつある。何でかよくわからないけれど、たぶん、いくつか思い当たる節はあるものの、最も大きいのは、映像作品を作るにあたって映像詩のようなものが創りたくなったというのがある。
それと同時に、いろいろな音楽を聴いているうちに15年〜10年くらい前の精神状態がよみがえってきたというのもあり、当時言葉にならなかったものも含め、今、何らかの形にできればと思う。
さらにその映像作品とも通ずるように、今度のソロパフォーマンスに通ずるための「引きこもり」のために、自分の机の周りをカーテンで仕切り、漫画喫茶のようにしてみた。1.5畳くらいの小さなカーテン仕切の個室である。
●そんなわけで、久しぶりに『ブリタニカ草稿』に通じる文章を引用。
ハイデガーは、『存在と時間』を刊行した1927年の夏。フッサールの信頼に応えて、『大英百科事典(エンサイクロペディア・ブリタニカ)』に新たに収録されることになった「現象学」という項目の執筆に協力しているが、その準備作業の段階で「現象学の理念と意識への還帰」という標題をもつ草稿を書いている。ここで彼は、西洋哲学の伝統に対する現象学の位置について実に明確な指示を与えている。
「自然・歴史・空間についてのもろもろの実証科学は、存在するものの全体からそれぞれの対象領域を手に入れてくる。これらの実証科学は、存在するものへ直接立ち向かい、その総力を挙げて、およそ存在するすべてのものの研究を引き受けようというのである。かくて古代以来基礎学とみなされてきた哲学には、もはや探究可能ないかなる領域も残されてはいないように思われる。だが、ギリシア哲学はその決定的な始まりから存在するものを問いの対象にしていたのではなかったか。そのとおりである。しかしそれはあれこれの存在するものを規定しようとしてではなく、存在するものを存在するものとしてつまりその存在に関して理解しようとしてであった。だが、その問題設定も、したがってまたその解答も、長いあいだ晦冥[かいめい]の域を脱しえなかった。けれども、すでにその端緒においてさえ、ある奇妙なことが認められた。哲学は、存在するものについての思惟自省するという仕方で、この存在の闡明[せんめい]を果たそうとしているのである(パルメニデス)。プラトンのイデアの露呈も、魂の自己自身との対話(ロゴス)に定位されている。アリストテレスのカテゴリーは理性の言表する認識作用との関係で生じたものである。デカルトは明らかに、第一哲学を思惟するものに基づかしめている。このように存在するものから意識へ視線を転ずるということは、果たして偶然に起こっているのであろうか。こうした意識への還帰の必然性を原理的に解明すること、この還帰の途とその辿り方を根源的かつ明確に規定すること、そしてこの環帰において開示される純粋主観性の領野を原理的に画定し、体系的に踏査すること、これがすなわち現象学なのである。」
(木田元『現象学の思想』/ちくま学芸文庫 p46より)
●長くなったけど、ここはかなり重要なポイントになると思う。
●あと、この本を大連で読んでいて、フッサールの現象学に対する考え方の変遷が面白いと思った。まだまだ調べなければならないことはあるが、少しずつ見えてきた。
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花粉
- 2008-03-06 (木)
- -101-地下室
●わたしに対応するおそらくスギ花粉が2,3日前から猛威をふるいはじめた(ような気がする)
●頭がぼんやりして、一気に生産性が落ちる。
何より、何か文章をまとめたりするのは(たとえそれが仕事であっても)、基本的に自宅で静かに書くのが精神衛生上もよろしい。習慣的にも身体がそうなっているし。
●いろいろと考えなきゃならないことがあるんだけれど、それでも、時間を作ってそろそろ『ブリタニカ草稿』や『地下生活者の手記』、そして『存在と時間』も読み進めたい。読むことで気持ちが起き上がる。
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キーボード
- 2008-01-24 (木)
- -101-地下室
●ある演技プランというか、演出プランについて思いつく。わたしにできることは何か。ダンスの映像などを見ていると、やはり自分に出来ないことを無理してやっても面白くないだろう。いや、やれるようになるまでトコトンということは面白いのだが、ここで求められていることはちょっと違う。
この『地下生活者の手記、あるいはブリタニカ草稿(仮)』というソロパフォーマンスでも、3つの話が同時に進行する予定だ。
まあ、二つはタイトルにあるとおりのままなのだが、もうひとつ。そこに今の視点を組み込みたい。
●しかし、今はその部分を考えられる余裕がない。仕事が待っている。
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地下室の手記5
- 2007-12-08 (土)
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●少し、数ページだけ飛ばす。まずは早速引用から。
ところで、いったい何のために、俺はこんなに自分を歪めて苦しめていたのかと訊かれるかもしれない。答えーただ、手をこまねいているのがひどく退屈だったからだ。それで、奇妙な行動をしでかしたというわけだ。たしかにそうなのだ。あんた方ももっとよく自分を観察してみるがいい。そうすれば、たしかにそうだということがわかるはずだ。自分で珍事を考え出し、人生を創作したのは、せめて何とかして少しはまともに生きてみたかったからなのだ。何度こんなことがあったろうーそう、たとえば、腹を立てるのだ。それも、これ説いた理由もなく、ただわざと腹を立ててみたのだ。ただ自分をけしかけて何の理由もなくむかっ腹を立てたことは、自分でもわかっているのだが、あまりにも真に迫って自分を追い詰めたあげく、しまいには本気で腹を立ててしまうのだ。どういうものか、俺は一生涯ずっと、この手の妙なことをしでかす衝動に駆られ続け、しまいには自分でもそれを抑えられなくなってしまった。(光文社/古典新訳文庫・ドストエフスキー『地下室の手記』安岡治子訳 P35)
●ここは、まさしく自意識を持てあます状況そのものが描かれている。非常にいい台詞である。
だが、問題は台詞として考えたときに、「あんた方」という言葉が出てくることだ。これをどう処理しようか。
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地下室の手記4
- 2007-12-05 (水)
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●あれから1ヶ月近くの時間が経ってしまった。その1ヶ月前に覚えたはずの台詞を反芻してみても、たどたどしい。まあ、それはそれとして復習をするとして、次に進まなければ。
そして、結局のところむっつりと押し黙ったまま、力なく歯ぎしりでもしながら、無気力、惰性の中に陶然と浸りきって、こんなことを考えるー俺には、腹を立てるべき相手さえいないわけだ、そうだ、対象物がないのだ、ひょっとすると、永久に見つからないのかもしれないぞ、ここにあるのは、すり替え、ごまかし、いんちき、いや、単なる得体の知れぬ戯言で、何が何だか、誰が誰だかもわからない、と……。しかし、こうしてすべてが正体不明にもかかわらず、それでも痛むのだ。わけがわからなければわからないほど、痛みはひどくなるのである。(光文社/古典新訳文庫・ドストエフスキー『地下室の手記』安岡治子訳 P29-30)
●とにかくそれぞれのセンテンスはまだ繋がってはいない。
『地下室の手記』そのものを上演するわけではないからだ。これらはあくまでテキストで、ここからまた別のテキストとして形作られる予定である。
いずれにしても、他人の言葉を覚えるのが心地よい。
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地下室の手記3
- 2007-11-06 (火)
- -101-地下室
●風呂に浸かりながら、久しぶりに台詞を覚えてみる。昨日、この流れも響きも気持ちのいいと思った『地下室の手記』のこの文章。
まさにこの冷ややかなおぞましい絶望と希望の相半ばした状態や、心痛のあまりやけを起こして我が身を地下室に四〇年間も生きながら埋葬してしまうことや、こうして懸命に創り上げた、それでいてどこか疑わしい己の絶体絶命状態や、内面に流れ込んだまま満たされぬ願望のあらゆる毒素。激しく動揺したかと思うと永遠に揺るぎない決心をし、その一分後には再び後悔の念に苛まれるという、こうした熱病状態の中にこそ、さっき俺が言ったあの奇妙な快楽の核心があるのだ。この快楽は実に繊細なもので、ときには意識をすり抜けてしまうぐらいだから、多少足りない連中や、さもなければ神経の図太い連中にさえも、この快楽の特性は何一つわかりはしない。(光文社/古典新訳文庫・ドストエフスキー『地下室の手記』安岡治子訳 P26)
●昨日の引用に比べたら非常に短いが、これだけ覚えるのも結構しんどい。だけど、言葉に対して脳が活性化していく感覚がよみがえってくるのは非常に心地よい。とはいっても、覚えて一時間後にはだいぶ忘れてしまっている。まあ、いつものことだ。忘れては覚えての繰り返し。身体に落ちるまで繰り返すのみ。
何しろ二年半あるが、二年半しかないのである。
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地下室の手記2
- 2007-11-05 (月)
- -101-地下室
●言葉の並びが心地よい独白が続く。その前にそこに至るまでの変容ポイント。
自意識過剰の人間は、もちろん自然の懐から生まれたわけではない。化学実験装置の蒸留器から発生したそういう人間は、自分と正反対の者を前にすると、ときにはすっかりひるんだあげく、強烈な自意識をもっているくせに、自分を人間ではなくネズミだと真面目に考えたりするからだ。たとえ強烈な自意識を持つネズミにしろ、それでもネズミには違いない。ところが相手は人間だ、したがって……(中略)そして、重要なのは、彼が自ら自身をネズミだと考えている点だ。誰に頼まれたわけでもないのだ。ここが重要なポイントだ。
●こう来た上で、さらに続きを見てみたい。ちょっと長くなるけど、編集しながら引用する。
さて次に、このネズミの行動を見てみよう。仮にネズミもまた、侮辱を受けて腹を立てているとしよう。そしてやはり恨みを晴らしてやろうと望んでいるとしよう。ネズミの憎しみは、ひょっとすると、<自然と真理の人>の場合よりいっそうひどく鬱積するものかもしれない。侮辱を与えた奴に同等の悪意で仕返しをしてやりたいという、嫌らしい品性下劣な野望は、<自然と真理の人>よりいっそう醜くネズミの心を掻きむしっている。なぜなら<自然と真理の人>は持って生まれた愚鈍さゆえに、おのれの復讐心をしごくあっさりと正義だと思いこんでいるのだが、ネズミは強烈な自意識ゆえに、この際正義などというものは否定するからだ。不幸なネズミは、当初の不快さに加えて、自分の周りに疑問だの疑惑だのの新たな不快さを、山のように堆く積み上げてしまう。一つの疑問が生ずると、そこへまた山ほどの未解決の疑問を呼び寄せてしまうので、ネズミの周りには嫌でも何やら宿命的などぶ水や悪臭ふんぷんたるぬかるみのようなものが溜まっていくのだ。このどぶ水、ぬかるみの成分は、ネズミ自身の疑惑、同様、そして裁判官だの独裁者だのの姿をした率直なやり手タイプが、、勝ち誇ったようにネズミを取り囲み、大口を開いて笑い、吐きかける唾なのだ。
●と、ネズミのたとえから自らがネズミに変わっていく様子はまさしく変容である。さて、ここからだ。というか、こんなに長く覚えられるのか。いや、まだまだまさしく「序の口」。ここからまだまだ先に進む。膨大な台詞との格闘である。この流れは非常に面白いので、是非採用したい。で、次。
もちろんネズミとしては、これらすべてを歯牙にもかけぬといったふうに、小さな手でひと払いして、我ながら疑わしい見せかけの軽蔑の笑みをにやりと浮かべるなり、自分の穴にすごすごと潜りこむしかない。この嫌になるほど悪臭ふんぷんたる自分の地下室で、侮辱を受けて笑いものにされ傷ついた我らがネズミは、たちまち冷ややかな毒気にみちた、しかもいつ果てるとも知れぬ悪意に身を浸すのだ。四十年立て続けに、自分の受けた屈辱をその最も些細な恥ずべき細部に至るまで一つ一つ思い出しては、しかもそのたびに、自分でもわざわざいっそう恥ずかしいディテールをつけ加え、自分で作り上げたその虚構で意地悪く己をからかい苛立たせるというわけだ。さすがに自分でも、でっち上げた虚構を恥じることになるのだが、それでもすべてを次から次へと思い出しては、ありそうもないデタラメを、そんなことだって我が身に起きたかもしれないじゃないかと考えだし、そうした屈辱をどれ一つとして赦そうとはしない。それでいて、おそらく復讐を始めるにしても、それは何となく中途半端に途切れがちの、みみっちいものであり、しかも自分はぬくぬくとした場所に隠れたまま、匿名でこそこそやるに違いない。自分に復讐の権利があることも、復讐が成功することも信じずに、むしろ復讐の試みゆえに自身が相手の百倍も苦しむことになり、しかも相手はたぶん、痛くも痒くもないに決まっていることもあらかじめ知っているのだ。
●いや、本当はこの次のセンテンスからが台詞としては凄くいいのだけれど、今日はここまで。何しろ俺も2時間しか寝ていない。
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地下室の手記1
- 2007-10-25 (木)
- -101-地下室
俺は病んでいる……。ねじけた根性の男だ。人好きがしない男だ。どうやら肝臓を痛めているらしい。もっとも病気のことはさっぱり訳がわけがわからないし、自分のどこが悪いのかもおそらくわかっちゃいない。医者にかかっているわけでもなければ、今まで一度もかかったこともない。医学や医者は立派なものだとは思っているのだが……。そのうえ、俺はこのうえもなく迷信深いときている。まあ、少なくとも医学を立派なものだと信じこむほどには迷信深いわけだ。
●と、始まるドストエフスキー『地下室の手記』。
●何も書くことがなくて、困り果て時間を無為にする必要はないということに気付いた。この場を利用して、次作のテキストを抽出していくことにする。まずはこの冒頭。いきなり相当捻くれている。
しかし、この小説には今の日本にも充分に通じる作品であるはずだ。少しずつ抜粋し、引用していくことにする
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次の戯曲の下準備
- 2007-06-29 (金)
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●何だか精神的に追い込まれてきたので、演劇のことに思いを馳せる。何しろ明日は『ニュータウン入口』の準備公演もある。ただ以前のようなワクワク感がないのはどうしてだろう。きっと明日も新しい発見があるはずなんだけど。
●で、自分でやるほうのことを考え、ドストエフスキーの『地下室の手記』(新潮文庫版)を購入。あまりこれは訳が好みではないので、Amazonで『地下室の手記』
(光文社版)も購入。
しかし、気になるのは『地下生活者の手記』だったはずの邦題が、ここ数年の内に『地下室の手記』にいずれも変わっているということだ。どうしたことか。「地下生活者」という響きがよかったんだけどなあ。
●さらにもう一つ重要なテキストとなるフッサールの『ブリタニカ草稿』も注文。
しばらくはこの二冊と向き合うことになる。まあ、変わるかもしれないけど。
まったく関係のない二冊だが、わたしのなかではいまのところ「ある一線」で繋がっている。わかりやすくするつもりは最初からサラサラないので、いかにめちゃくちゃなものに出来るか。かつ、何を残せるか。何も残らないかもしれない。
ただ、今までにやったことのない方法にはチャレンジするつもりだ。
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