●会社ではもう嫌と言うほど喋ってしまった。まだ今ひとつ自分の中でしっくり来ない問題があるのだが、それは単純に「経済」や「組織」という問題のことだけでなく、金の使い方、人の使い方までそれぞれの思惑が混線している中をある一本の筋で通そうとしているところに生じてくる問題だ。それがまた至難の業ではないと改めて知る。形式だけになりはしないかとか、話し方としてわたしの伝え方は合っているのかとか。
●それはある意味、舞台稽古中の役者がその世界に生きているかどうかを探ってじっと見つめる作業に似ている。
●「机上の空論」とか「理想論」とかいう言葉がいくつか聞こえている中でも、あえてわたしは言いたい。「お前が見ている現実も結局はお前の頭の中にしかない」と。ある虚構の上に成り立つ世界(これは経済社会も一つの虚構であるというわたしなりの前提があるのだが)というのは、部分的に「ある」ものではなく、「作る」ものだからだ。「現実」は結局それぞれの頭の中にしかない。一時期、「リアリティ」とか「リアル」とかいうものが問題になったときのように。
●ただし、ものづくりにおいて、三現主義「現場・現物・現実」を重要視する姿勢はもう一つの大きな前提条件。「現場で起きた問題の現物を見て、現実=実際にどのような状態にあるか」を確認して、判断することであり、この際の「現実」とは「実際にどのような状態であるか」ということである。それと「どうしていくべきか」という問題は別の問題だ。そこには大きな飛躍か段階的解決が必要になる。
●このドラム缶の中に土が溜まり、草が生える状態になるまでに何があったのか。そこを本当に知るためには、もう一度「現場」に足を運び、「現物」を見て、その土の深さや草の生え方などじっくりと観察するしかないのだ。
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