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引きこもる

●心の中のモードが微妙に変わりつつある。何でかよくわからないけれど、たぶん、いくつか思い当たる節はあるものの、最も大きいのは、映像作品を作るにあたって映像詩のようなものが創りたくなったというのがある。
それと同時に、いろいろな音楽を聴いているうちに15年〜10年くらい前の精神状態がよみがえってきたというのもあり、当時言葉にならなかったものも含め、今、何らかの形にできればと思う。
さらにその映像作品とも通ずるように、今度のソロパフォーマンスに通ずるための「引きこもり」のために、自分の机の周りをカーテンで仕切り、漫画喫茶のようにしてみた。1.5畳くらいの小さなカーテン仕切の個室である。
●そんなわけで、久しぶりに『ブリタニカ草稿』に通じる文章を引用。

ハイデガーは、『存在と時間』を刊行した1927年の夏。フッサールの信頼に応えて、『大英百科事典(エンサイクロペディア・ブリタニカ)』に新たに収録されることになった「現象学」という項目の執筆に協力しているが、その準備作業の段階で「現象学の理念と意識への還帰」という標題をもつ草稿を書いている。ここで彼は、西洋哲学の伝統に対する現象学の位置について実に明確な指示を与えている。

「自然・歴史・空間についてのもろもろの実証科学は、存在するものの全体からそれぞれの対象領域を手に入れてくる。これらの実証科学は、存在するものへ直接立ち向かい、その総力を挙げて、およそ存在するすべてのものの研究を引き受けようというのである。かくて古代以来基礎学とみなされてきた哲学には、もはや探究可能ないかなる領域も残されてはいないように思われる。だが、ギリシア哲学はその決定的な始まりから存在するものを問いの対象にしていたのではなかったか。そのとおりである。しかしそれはあれこれの存在するものを規定しようとしてではなく、存在するものを存在するものとしてつまりその存在に関して理解しようとしてであった。だが、その問題設定も、したがってまたその解答も、長いあいだ晦冥[かいめい]の域を脱しえなかった。けれども、すでにその端緒においてさえ、ある奇妙なことが認められた。哲学は、存在するものについての思惟自省するという仕方で、この存在の闡明[せんめい]を果たそうとしているのである(パルメニデス)。プラトンのイデアの露呈も、魂の自己自身との対話(ロゴス)に定位されている。アリストテレスのカテゴリーは理性の言表する認識作用との関係で生じたものである。デカルトは明らかに、第一哲学を思惟するものに基づかしめている。このように存在するものから意識へ視線を転ずるということは、果たして偶然に起こっているのであろうか。こうした意識への還帰の必然性を原理的に解明すること、この還帰の途とその辿り方を根源的かつ明確に規定すること、そしてこの環帰において開示される純粋主観性の領野を原理的に画定し、体系的に踏査すること、これがすなわち現象学なのである。」

(木田元『現象学の思想』/ちくま学芸文庫 p46より)

●長くなったけど、ここはかなり重要なポイントになると思う。
●あと、この本を大連で読んでいて、フッサールの現象学に対する考え方の変遷が面白いと思った。まだまだ調べなければならないことはあるが、少しずつ見えてきた。


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