■いきなりの話で恐縮ではありますが、ここで「現象」というカテゴリを結構乱発しているのは、何も書くことがない場合、ただつれづれなるままにそのときに思いついたことをただ書くという作業をしているからだが、じゃあ、どうしてそれが「現象」なのかということになったとき、今ひとつ自分自身に説明し切れていないように思えたので、改めて。
■現象学は18世紀にカントが『自然主義科学の形而上学的基礎』という文献の中で、「物質の運動ないし静止を表象の種類ないし様態との関係においてのみ、つまり外観の現われとしてのみ規定する運動論の一部門」と書いたことに始まるようだが、これはあくまで自然科学の領域内で使われただけのことである。
■むしろ、哲学の世界ではヘーゲルの未完の著『精神現象学』のなかで「『現象』は『精神の現象』を意味する。精神そのもののそのつどの姿、形態のこと、その姿をその現れてくるがままに記述する作業」と書いているところによる、そっち側の現象学である。
そして、それは現象学の父と勝手にわたしが呼んでいるフッサールに始まり、その後継から発展させているハイデガー、あるいは場所を変え、メルロ=ポンティに続くその系譜のなかの現象学だ。
■で、わたしはフッサールとハイデガーが共著として書いた『ブリタニカ論文』のことが気になっている。
これを『ブリタニカ』として、フッサールとハイデガーを出さない日本人だけの映像用台本を書きたいと思っているのだ。これもすでに構想から3年以上経っていて、この段階でとりあえず止まっている。
●というわけで、現象学の復習。『現象学の思想』(木田元・著/ちくま学芸文庫)より一部引用しました。